キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

記念日の記憶

「記念日の記憶」という言葉を購読している毎日新聞の日曜日のエッセイの欄で見た。
良い記念日、負の記念日いろいろあるだろうけれど、3月は震災もあったし、
私にとっては特別な負の3月だ。
2月の後半から助走のように調子が悪くなってくる。
温かくなりだして、日も長くなって、体も動きやすくなってきて
ちょっと気がはやるような、そわそわとした、気持ちがせくような、
走り出したいような焦りのような。
それでいて胃がきゅっと絞られるような。
ぼんやり焦点が合わないような意識になって、特に数字や時間の感覚があやふやになってきて、それでもやっぱり体はつんのめりそうなほど遠くへ遠くへ行こうとする。
毎年毎年3月に向かって3月はそんな月。

3・2・1・・・
3月21日
0(ゼロ)をカウントせずに家を出ると決めていたその朝、
「今晩話そう」の一言がもう一日早かったらどうだっただろうかと思いながら過ごした9年だった。
中学までしかない島で、15歳まで過ごすはずだった長女が中学を終えた。
島で過ごしていたらと考えなかった日はないが、もう考えなくていい。
薄れて、枯れていく気持ちと記憶と一緒に自由になろうと思うが、
この記念日の記憶という症状は消えないかもしれない。
3・21に苦しむのは私だけじゃないかもしれない。