キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

彼岸の記憶

春分の日
キリストの復活祭イースター
春の彼岸。
そんな日に、7年前のその日私は家を出て、逃げた。
この日を目指してかのように、気候の不安定さもあるだろうが、
体も心も7年前に引き戻されるように苦しい。
が、養育費も滞っていて心細い、ふと気が緩むと記憶の嵐につぶされそうで怖い、
と仕事の時間を詰め込んで子らは家で退屈しているだろうが、出勤した。

夜、一人になった時間、7年前からそこを動かない私の小さなウニピヒリを
私が迎えに行く。
彼は迎えには来なかったよウニピヒリ。
これからも迎えには来ないんだよウニピヒリ。
ごめんね、島に帰りたかったの知ってたのにウニピヒリ。
今日はお彼岸。
この期間くらいは島に帰ろうウニピヒリ。
私が連れてくウニピヒリ。
西向きの玄関。
いつもきれいに掃いて磨いて、子らも草履を並べてそろえてたね。
白いレースのカーテン。
いつも掃いて拭き掃除した廊下。
南向きの窓は明るすぎるくらいだった。
海からの潮風ですぐ曇って汚れる窓のガラスは毎週大掃除みたいだった。
東の台所の窓はブーゲンビリアが元気だった。
青い食器棚は2年前に見た時すごい傷がついていた。
悲しかった。
私の誕生日に買ってもらったガスオーブン。
たくさんパンやケーキを焼きたかった。
そのガスオーブンを載せる台はわたしが寸法を考えて作った。
たくさん雨が降ったら壁から水がしみてくるような粗末な作りだった。
ねずみが入ってこないように換気扇はずっと回しっぱなしだった。
ウニピヒリ、あなたはこの家が好きだった?
あの水色の軽自動車でドライブする?
家の前の浜を歩こうか?
気がすむまで居よう、お彼岸だもの、帰りたかったねウニピヒリ。
ごめんねウニピヒリ。
迎えに来てって言わせなかった。
そこで生きていく力がなかった。
独りだった。
そこで、誰にも助けてって言えなかった。
もう少し私のウニピヒリと彼岸で過ごす。

春 誕生

次女が9歳になった。
午後6時。
毎年のことだけれど、
「今生まれた~!!」
と、うれしい、うれしいがいっぱいに自分で自分の誕生を喜ぶ。
みんなに、おめでとうをいっぱいもらう。

誕生日の人はその日食べたいものをリクエストする。
今年の次女は、ピザ。
みんなでトッピングしながら、ガスオーブンで焼いて熱々を切り分ける。

皆からプレゼントをもらう。
長女の時はつい、いつも実用重視のもの。
でも、次女にはなぜか、ただ喜ぶ顔見たさの欲しがっていたものを。
長女の望むものは高額で、こちらもそうやすやすと与えられず、それでいてそう強く訴えない。
次女の望むものは、いつもそこそこ手軽で、しつこく何度もさりげなく強引にアピールする執念がある。
今年の次女は、腕時計と初シャープペンシル、流行りの耳が動かせるうさぎの帽子。
そして、チェキ。
これは、私が欲しかったもの。次女の誕生日にかこつけて買ってしまった。
フイルムは一枚60円くらいだよ。
と、教えたら、
「3枚撮ったから180円や~~!!」
と、記念写真を撮ってすぐに浮き出てくる自分の姿に感動しつつ、
計算して、一枚一枚を大事にシャッターを押していた。
やっぱりデジタルで撮りためる写真は苦手で、
いつでもすぐに手にとって眺めたい私にはこれが似合ってると思って手に入れた。
今を、シャッター押したくなった私。
チェキデビューは、次女の誕生日。
私にも春、再来。
冬と行ったり来たりしながらの残冬を脱ごうとしている。

もう 起きよ

とても長い間、冬眠してしまった。
寒さに疲れて、冬バテした感じ。
夜長く起きてるのが難しかった。
翌日のすべての行動に支障が出る事、
一つ一つの目の前のことが、
何となくこなされていくことを後悔するのを減らしたかった。
自分の体温を維持すること、エネルギーを持続させることに
どうしたらこの季節を過ごしていけるか、
効率を考えてルーティンを崩さないことを心掛けていた。
一年を通じて、何ら変わった生活ではなかったが、寒さと、気圧の低さは心身にこたえる。
「ママ、もう蓄えんでもいいんじゃない?」
と、一緒にお風呂に入っている次女が私のお腹にまとったフルフルとしたものに触りながら、もう冬眠から覚めよと言う。
そうだよね、今日の雨で畑の梅の花も散ってしまうだろう。
わかってる。
もう、起きてる。

年初めの筋肉痛

一年の初め、三が日をゆっくりダラダラ過ごし、親戚一同集まるのがお正月だったけれど、
今はない。
ここ最近は三が日の天気に合わせて、ひらパーにスケートに行っている。
滑り始めは、こわごわだけれど、だんだん慣れて、横着になって、
どんどん滑る。
だけれども、何年か前の子らにっとては初めての、私にとっては久しぶりのスケート、
滑って転んだ時の傷みを知らなかったり、忘れていたころ、
もっとスピードを出して、楽しかった。
でも、その時絶対ヒビがいっていたと思う。何週間もの間座ったり立ったりお尻が痛かった。
何かあっても仕事を休めない。
と思うと、何割かの楽しみ方が減ってしまった。
子らも、少し怖さを知ってしまったようだ。
来年は、自己流じゃなくて、ちょっとでもうまくなるようにクラスに入ろうと思う。
私だって、まだまだ上手くなれる。
子らも、もっと自由に、楽しくなる。

そして、日曜日、毎年の立木観音にお参りにあの800余段の階段を上っておりて、
ふくらはぎは、筋肉痛のピーク。
ツライ。
毎年の年の始まり。

良い年を

2018年が終わろうとしている。
この年の瀬を、一年、二年とカウントしないように日常としてさりげなく過ごしていきたいが難しい。

私が壊れて、元夫ともうまくかなくなってから、別居して、離婚して・・・
もう何年も「あけましておめでとうございます」を
一度も言っていない。
何がめでたい。
ずっと、そう思っている。
一年を存分に納得して生きた人が言う言葉だと思う。
だから明日の元旦も、明後日もそう言わない。言えない。
何がめでたい。
十分生きてない、私。
納得してない、私。

「よいお年を」(あなたにとって私たちにとって良い年が来ますように)

何年もこの言葉も言わずに来たが、この年末はそう願って声をかけあうことが出来た。
年が明けようがあけまいが、めでたくはない。
良い明日にしたい。