キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

京滋バイパス

毎年一月は三重県甲賀にあるモクモク手づくりファームのいちご狩りに行く。
食育を目的にされていて食べ放題ではない。
さちのかは甘いが酸味もあり香りもいい。
好きな品種。
10粒どれがおいしいかなあと摘んで食べることができる。
お腹いっぱいになって一日分のビタミンが取れる。
長女たちはカフェでぬくぬくとマフィンを食べ、原木シイタケの収穫を楽しんだりしている。
その間に次女と私はいちご狩り。パックいっぱいに摘むことができてお土産に。

モクモクへは京滋バイパスを走って1時間ほど。
私が免許を取ったころは高速教習がなかった。
京滋バイパスが開通したのもその頃。
いまだに、大阪方面には自分の運転では行ったことがない。
ナビに誘導してもらっても、高速の道は不安で、緊張する。

でも、あのころは、あの時は怖いと思わなかったなあ。
会いたいという思いだけで、初めての開通したばかりの信楽までの一台も通らなかった京滋バイパスを走った夜。
この道を走るたび、一本道を走らせた私を懐かしく思う。

理科の実験

長女の理科の実験は、
2つビーカーの100gの60度の湯の中に、
塩、ミョウバンそれぞれを一グラムずつ量って入れていき、何gまで溶けきるかを調べる実験。

いくつかの班が、少しずつの誤差ではあるが、それなりの実験結果を報告する。
その実験中の班内の分担や役割、様子を見ているのは人間性を見れておもしろい。
また、その実験中の予測と違った事がおこっていく感想を話している声もほほえましい。

みんなで、先生が3つのビーカーに入った100gの水に塩100g、ミョウバン100g、砂糖100gをそれぞれ入れて沸騰させて、解けきるかという実験をされた。
みんなに予測をさせて。

塩は解けきらず残った。
ミョウバンは解けきるギリギリが100g。
砂糖は460gほど解けきるという。

あの、驚いている子供たちの顔、声。
実験て楽しいんだよ。

私のあの頃も毎日、全部、解かそう、解かそうとしていたけど解けきらなかった。
冷たい水じゃなくて、湯になれればよかったのだろう。
全部、解けきるだけしか入れなかったらよかったのだろう。

おへその話

土曜参観。
次女一年生は「おへそのはなし」。
悪い予感はしていたが、命の話。
わたしとおかあさん。
つながりの話。
そういえば、長女の参観にもこんなテーマあったなあ。
性教育の始まりの一歩。
きずな、つながりの話。
長女の時は、ただただ純粋に私の腹の中でつながっていた幸せな記憶と今までの過ごした時間、これからのかかわりを思い描く時間になった。
けれど、今回は違う。
年末まで夫だった人の新しい子が、別の人の腹の中でつながっていたへそしか連想できなかった。
次女の美しく元気に挙手する姿を見とどけて、
気持ち悪くなった心と体を長女の理科の実験をしている教室へ移動させた。


ピン

自分の体に対する感受性は高いほうだと思っている。
今月は左右どちらの卵巣から排卵されたか、大体わかる。
次女の妊娠の時も10日ほどでわかった。

去年の春先、やたら欲情した。
そう言う夢をやたら見た。
「春やしかな~」
と思っていたが、きっと私と重ねたり、思い出したりしながら
誰かを抱いていたのだろう。と、今となっては納得する。

購読している毎日新聞の「たのもー!フェミ女道場」を楽しみにしている。
フェミニストでも何でもないつもりだが、その回にはピンク映画監督の浜野佐知さんが登場した。私大ファン。
女性主体の欲情、行動。
女の性を女の手に取り戻す。
その記事の中に、
「運動より、点でいいから社会の大事なポジションに意識のある女性が存在すること。
それが、線になれば社会は変わる。」・・・それは家庭の中でもそうだと思う。
「自分を信じろ。
そのときの最後の砦になるのは自尊心。
そして、怒り。
怒りは、口に出してその場で発散すること。
今日も怒っちゃたって。」・・・・まずは、違和感を感じたことを心と頭で感じること。

 

ピンの女になったとはいえ、二人の子を育てる親としては、
この子らを育て、独立させるまでは色恋なしで責任を全うしたいと思っている。
が、体は正直だ。もう、私は私のものだもの。
排卵日を最高潮に体温が上がり無駄にフェロモン放出してるなあと感じる。
唇と乳首から見えない赤いビームが出て、
唇と乳首だけが浮かんで歩いているような感覚。
でも、まあこんな町の寒空でフェロモンビーム出しまくってもなあ・・・。
その時期を過ぎてふと体温下がって平常に戻る。

呪い

ある男が、女性に呪いのわら人形を送ったと強迫罪で逮捕された。

女性に送ったから犯罪だけど、誰にも見つからないように丑三つ時に五寸釘をわら人形に打ち付けることはいいのだろうか。
どれほど思いつめたとしても、ちょっとやそっとの恨みや呪いは届くものでもない。

私もかつて、家人の洗濯物を北向きに干し続けたり、
枕を西向きに敷いたり、
新品の靴を夜おろしたり、
不吉でしてはいけないと教えられていた事をたくさんしたけどピンピンしてた。

何をしても、言葉ほどの呪いはない。

「君みたいな人間が、
結婚できて、二人の子供が産めたことに感謝しろ。」

「結婚して、あんた人間変わったわ。
悪なった。あんたみたいなうっとうしいモンが出てってくれてほっとしたはるやろ。」
                        
そこまで言わせてしまう私ってなんやろう。
結婚できたいつかの私って、どんなんやったんやろう。
結婚生活で、人が変わるって、何が原因か。

ふと、落ちた時、
この言葉たちがいつも降ってくる。

そして、壊れていった場面の記憶。
一生、つきまとうのかなあ。