キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

年初めの筋肉痛

一年の初め、三が日をゆっくりダラダラ過ごし、親戚一同集まるのがお正月だったけれど、
今はない。
ここ最近は三が日の天気に合わせて、ひらパーにスケートに行っている。
滑り始めは、こわごわだけれど、だんだん慣れて、横着になって、
どんどん滑る。
だけれども、何年か前の子らにっとては初めての、私にとっては久しぶりのスケート、
滑って転んだ時の傷みを知らなかったり、忘れていたころ、
もっとスピードを出して、楽しかった。
でも、その時絶対ヒビがいっていたと思う。何週間もの間座ったり立ったりお尻が痛かった。
何かあっても仕事を休めない。
と思うと、何割かの楽しみ方が減ってしまった。
子らも、少し怖さを知ってしまったようだ。
来年は、自己流じゃなくて、ちょっとでもうまくなるようにクラスに入ろうと思う。
私だって、まだまだ上手くなれる。
子らも、もっと自由に、楽しくなる。

そして、日曜日、毎年の立木観音にお参りにあの800余段の階段を上っておりて、
ふくらはぎは、筋肉痛のピーク。
ツライ。
毎年の年の始まり。

良い年を

2018年が終わろうとしている。
この年の瀬を、一年、二年とカウントしないように日常としてさりげなく過ごしていきたいが難しい。

私が壊れて、元夫ともうまくかなくなってから、別居して、離婚して・・・
もう何年も「あけましておめでとうございます」を
一度も言っていない。
何がめでたい。
ずっと、そう思っている。
一年を存分に納得して生きた人が言う言葉だと思う。
だから明日の元旦も、明後日もそう言わない。言えない。
何がめでたい。
十分生きてない、私。
納得してない、私。

「よいお年を」(あなたにとって私たちにとって良い年が来ますように)

何年もこの言葉も言わずに来たが、この年末はそう願って声をかけあうことが出来た。
年が明けようがあけまいが、めでたくはない。
良い明日にしたい。

SING

今年、PTAのコーラスの発表曲に選ばれたのはカーペンターズのSINGだった。
星加ルミ子さんの日本語歌詞。

SING 歌おう  
声を合わせ
悲しいこと 忘れるため

SING 歌おう
幸せが来るように
大きな声を出し 恥ずかしがらず
JUST SING SING OUT SONG

SING 歌おう
愛の歌を
あなたのため 私のため
SING 歌おう
幸せが来るように
大きな声を出し 恥ずかしがらず
JUST SING SING  OUT SONG

JUST SING SING OUT  SONG

コーラスのみんなとこの曲を歌っているとき、
声を合わせて一緒に歌っている皆が、それぞれに一緒に幸せになっていく様を
感じながら、
毎日をそれぞれに頑張っている一生懸命なおんなたちが集まっていることに心強く思って幸せだった。

コーラスが終わって、仕事から帰る一人の道や
洗濯物を取り入れたり、
台所を片づける一人の時に歌う。

一人で歌うと、
~悲しいこと 忘れるため~
を歌うとき、
あ~私まだずっと悲しいが続いてる。
現在進行形のままだ。
と、言うことに気づく。
いつか、悲しかったこと(過去形)になるのかな~って。

~愛の歌を  あなたのため  私のため~
の「あなた」が想像できなくてみんなと歌っているときも実は困っていた。
この歌と出会って、歌って、何か月も経って、
この年の瀬にやっと、過去の私ではなくて、未来の私に向かって「あなた」を歌おう。
と思い始めている。
私に対しての愛が全然足りてない。
声を合わせ支え助けあうという誰彼がいないことはとても心もとないことだけれど、
過去の私も、思い出も引っ張り出して、歌わせなくっちゃ。


夜のお出かけ

一年に何度か、気になる、大好きな画家の展覧会や映画やイベントやライブがあったら子らを連れて夜遊びする。
仕事が終わって、子らも学校やクラブ、宿題を終えて夕方出かける。
展覧会なら小中学生なら無料だし、週末の夜間開館に合わせて。
たぶん昼間よりは空いているのだろうその絵の前に立って。
一年前から楽しみにしていた藤田嗣治展も子たちと行った。
まだまだ子らの鑑賞のマナーは心配ではあるが、最後まで見終わったらそれぞれもう一度みたい絵の場所まで戻って一人で観る。
子たちにとっても一人になる緊張する時間かもしれないが、一人で選ぶというのは大事と思っている。
どの絵の前に戻るか面白い。

そして、夜道をじゃれ合いながら歩いて遅い夕飯を食べる。
外食はめったにしないので子たちはとても楽しみにしている。
「焼き鳥食べたいな~~」
と、帰路に向かい、帰りの時間を考えながら鳥貴族に入った。
ママはビール。
子らも一杯だけジュース。
いろいろな鳥の部位やらを選びながらお店を眺めて働くスタッフの中に近所の女子大生となった顔見知りの子を発見して驚く。
「期末試験お疲れ様~」長女へ。
「宿題と笛のテストお疲れ様」次女へ。
「お仕事お疲れ様~」ママへ。
と、家ではあまりしない乾杯~をする。
ママも家ではコップ一杯しか飲まないビールも生2杯は絶対飲んじゃうもんね~~

家から離れる距離が遠くなるほど、
家から離れる時間が長くなるほど自由になっていくのを感じる。

また春休み一泊でどこかへ行こう。

青山を選ぶ?

かつて私が住んでいた地方、僻地には母子保護施設がなかった。
で、一番近い施設に連絡したら、保護できないと言われた。
すでに満員で。
DVや命の危険があるのかと聞かれた。
あるといえばあったが、ないといえばなかった。
暴力だけが命を奪うわけではないし、
自分が、自分を消してしまいたいと思うことも命の危険ではあるから。
その時の私は、外からの情報や、私のアンテナに触れそうなもの、
私に触れそうなもの全部、元夫の言葉から傷つかないように完全なバリアを張ってすべてを遠ざけていた。
時間も場所も、誰といても関係なく。
生きていることを最小限の力でつないでいた。
逃げることだけに力を温存していたといってもいい。

いろんな人たちがいるだろうが、
私が住んでいる近くに一番近い頼るべき場所が青山にできる児童相談所や保護施設であったとしても、
きっと私はそこへは行かない。
選ばない。
選ぶという力があるうちは。
最後の力を振り絞っていくのは、実は遅すぎる。
まだつまづき、転んでも立ち上がれるころに差し伸べられる手が必要だから。
風邪の引き初めの頃や予防のために行く場所としての役割ならその場所でもいいのかもしれない。
ほんとのサポートやヘルプが必要な人には、目のやり場にも、身の置き場にも困る場所なのだろう。青山という場所は。
東京を青山を知らないから、わからないが、助けが必要な人も選ぶ。
どんなところだった良いかなと考えたらお寺とか教会とか何もないところ、一人になれるところがいいな。