キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

かぐや姫

まつとしきかば いまかえりこむ

百人一首の中の一つの下の句

旅に出る前、旅から帰った後も子らがジブリかぐや姫を何回も見ている。
そしてまた、私も長いその映画の中でも同じ場面の時に、TVの前を通りかかる。

かぐや姫が月からのお迎えが来るのを悲しんでいるときに
おばあさんが、この句を言う。

「あなたが本当に待っていると知ったなら、今すぐにでも帰るのに」

月と地。

違う世界を行き来してしまったかぐや姫
重ねちゃいけないけど、私はもう、月に帰ってきたおばちゃんかぐや姫
記憶は、解いて、薄めていこう。心は動かなかったんだから。

なんちゅう切ない話や。
また、この肉筆、墨のアニメーションは心をざわつかせる。

ママ帰る

ママが不在の一泊二日。
ママが、いてもいなくてもというように過ごしていたらしい娘たち。
喧嘩も、小さな衝突もなしに自分のことは自分でして、
学校へ行き、宿題をし、少しの家事もしていたという。

が、ママが帰ってからは「ママ、ママ~、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ、ママ~」
一つ一つに見てみて、聞いて聞いて、してして~。
いないということ、帰ってこないかもしれない、いろんな心配をしていたのだろう。
「ママ~、抱いて寝て~。ぴったり接着剤でひっつけて寝て~。」
長女も、次女も。

いろんな心配をかけている。

旅の終わり

児童や生徒だったころ
遠足や校外学習、修学旅行のおしまいに
「家に着くまでが遠足(修学旅行)や。」
と、家まで気を抜くな、安全に気を付けて楽しい思い出になるように帰りなさい。
と言われた。

旅から帰って、家について、本当に旅を終えたと思った。

一泊二日の旅。
13年という結婚という旅。

そこが、南の亜熱帯の非日常を味わう一般的には旅に訪れるような特別な島で
なおさらそう感じることができて幸い、よかったと思う。

旅を終えて、日常に戻ろうとしている。
住み始めたころ、前夫の夢に乗って「いいとこに連れてきてもらったなあ」と、
住み始めたそこは、私の求めていた生活のサイズにぴったりだった。
そして、つないでいた手がほどけて、だんだん狭くなっていった。

今また宇治に帰ってきて5年、このサイズになじもうとしている。

そして、旅を終えて、「長くさ迷っていたなあ。」と思う。

想像 実感

まだ経験していないこと、
想像できないこと、想像どまりのこと、
想像しても現実味がわかない事、実感がないとわからない。

そして、実際やってみる。見に行く。
なんで?
ばかばかしい!!
考えたらわかるやん!!と、言われても。

目の前に見ないとわからへんから絵を描いていたんかなあ。

今までの旅も、この旅も、行かなくちゃいけなかった旅やったんやろうなあ。

こうやって、人生を実験しながら試しながら、
ぼんやりしたり、痛い目にあいながら生きていくんやなあ。

雲の上は、いつも晴天

飛行機が離陸したつかの間、小さな窓から見えるその山々や海の色が、とてもくすんで曇って見えた。

住み始めたころ、住んでいたころ、帰ってきたいと思っていたころ、
あんなに色鮮やかだったのに。
ドンドン上昇して、雲を抜けて、今、太陽の光を受けて真っ白な雲がまぶしい雲の上。
雲を挟んでこんなにちがった光の中。
私は、旅を終えた。

雲の上は、いつも晴天。

飛行機が着陸したら、いろんな気持ちが薄れて薄まって、忘れてしまいそうなのでたくさんの走り書きがノートを埋めていくのだけれど
こんなにハラハラと涙をこぼしながら飛行機に乗っている人はないだろう。

今日の関西は寒くって雨だと一昨日の予報通りだろうか。

雲の上は、晴天。
雲の上は、晴天。

(思いがけず、関西は晴れ!うれしかった。)