キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

食洗器と100点

食洗器にお世話になっている。
水も洗剤も少量で済み、熱湯で洗われるのだから人が洗うより
よりきれいに洗えて、手荒れのリスクも減らし、
家事の時間の短縮にも一役買ってとても助かっている。

さっと大まかな汚れを流して、皿同士がぶつからないように
大小の皿や湯飲みや茶わんやらを行儀よく並べていくのだけれど、
コツや自分の中での決まり事や秩序を考えたバランスで納めていく。
そして、わが家は夜間電気料金を安く設定しているので、夕飯の後の皿たちは
23時以降にスイッチを入れるまで待機させられている。

23時を過ぎたころ、うちの最高司令官のチェックと手直しが入る。
皿同士が当たっていないか、カチャカチャで済むときもあれば、
ほぼ全撤去されて総入れ替えの時もある。

今日はお直しされないように完璧に納めようと頑張るときもあれば、
どうせやり直されるならと流しに置き去りにするときもある。
これは絶対、定位置だという確実なものしかスタンバイさせなかったり。

どうせという気持ちや口癖の結果、100点満点中ほどほどの85点
くらいしかやらない癖がついてしまっている。

特に、裁縫などというものは私の中で苦手意識が強いもの。
小学校の裁縫では、5年生にエプロン、
6年生にスカートが課題だった。
エプロンは、学校のミシンで縫いきれなかったものを宿題にされたが
持ち帰ったものはほどかれやり直された。
スカートは、学校では一切縫わず、家で縫われた。
やり直されて私のものでなくなるのならと最初から放棄したのだった。
やり直されるのが嫌だ。
私がやり切ったという責任や自信を持っていたい。
と、言えればよかった。

私が縫うものは客観的に、製品としてみたとき点数は30点。
仕上がりが少々悪くても楽しく作る時間さえ満足できれば個人的には100点。
ほどほどしかできない、上達しない人の良くない行動だと思う。
教えてもらわない。頼みたくない。
今は、今日は家に一人だというときにのみ、ミシンに向かう。
出来上がったものも見せないし、ミシンを使った痕跡も残さない。
やっぱり、出来が良くないとわかっているので出番は少ない。

人からの教えや言葉が
素直に気持ちに入り、聞けるのに必要なのは
その人に対する信頼や尊敬、それから何だろう・・・
その人の知りたくないところを知りすぎていないことだと思う。

何かを真剣に上達したい、習得したいときは他人の先生が良い。

Aさんの100点、Bさんの100点、Cさんの100点、私の100点・・・
それぞれの100点は比べちゃいけない100点。
比べたり、正したり、責めたり・・・
卑屈になってほどほどを知ってしまうと、
ほどほどしかできなくなちゃって、ほどほどの人になっちゃう。
また、野放しで、ほめてばかりも意見しないのもほどほど以上になれない。


癖が習慣になり、習慣が人格を作る。

誰が言った言葉だったろう。本当だと思う。

私の100点を人に押し付けないこと。
私の100点をあきらめないこと。
私の100点が足りない時を許せる私もそばにいること。
私の100点のつもりを見せつつ、子らには自分の100点を探してほしい。