キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

オ シャンゼリゼ

元夫と別居して、住んでいた永住の地だと信じていた場所からも逃れ、
友とも離れ、自分を信じるものが何もなくなったころ、
一年、布団から出ることもできない日も、
起き上がれない日も、笑えない日々も過ごした一年の引きこもり。

次女も幼稚園に入園し、長女の学校の役も当たり、
少しづつ外の世界に引っ張り出されるようになって、
小学校のPTA活動のコーラスに行くことにもなった。
それが5年前。
このコーラスは、私を支えたものの一つだった。



5年目、9月今年の歌い始め。
その初日、事件は起こった。
その事件によって、長く指導くださっていた指揮者の先生、伴奏のピアニストの先生がおりられた。
役員の母たちと、音楽に造詣ありの母たち、ピアノ伴奏してくれる母たちで今年のコーラスは始まった。
選曲は、先生が残してくれた曲。

大きな古時計
天使の羽のマーチ
はばたけ鳥
もみじ
オ シャンゼリゼ

なじみの曲だったり、子らへの贈り物。
そして、歌う母たち自身への応援の歌。

この曲こんなにいい歌詞だったの!!
こんなにきれいなハーモニーだった。
と、発見しながら、涙ぐみさえしながら歌う。

選曲された先生と、親しくさせていただいて、私の今までのコーラスの4年の時間と
先生の4年分の選曲された曲の重なりが私の心の支えになっていた事を告白した。
彼女もまた、私が幸せな家庭の主婦だと思っていらっしゃった。
友と、故郷になるはずだったその地への執着。
新しいことを始めようとする恐れやくじける気持ちを支えてもくれた。
自分自身への懺悔や、慰める歌も歌った。
幸せだったはずの時間やその想いの終わりを歌えた。
それらは偶然に私の時間と、心の支えに勝手に重なっていると思っていただけだったのだけれど、今年は、新しい出会いを、恋をまた楽しもうと思わせてくれる歌を私のために選んでくれた。と、思っている。

きっと、次の恋や、新しい出会いは楽しい、素敵なものになると思う。
いろいろなことを知って、体験して、いろんなものを抱えてはいるけれど、
大人の女として楽しいことを素直に飾らずにできそうに思う。
オ シャンゼリゼ
新しい出会いや、その人と会うときにはきっとこの曲が私の中に流れるのだろうなあと
とても楽しみ。

でも、かなり難度が高い。
子供のころ歌ったのとは全く違う。
また、子供のころ歌ったのとは全く違う私たち大人の女が歌うのだら。
聴かせどころもたくさんある。
先生は、ご自分がご指導されることを前提に選曲されている。
今まで、何年も参加して歌ってきたメンバーたちの力を信じて選んでくださっている。
きっと先生にはこんな演出、こんな歌い方、こんな響かせ方・・・こんな気持ちを届けて!!
と、ご指導されるのだったらこうだろうな、こんな風に歌ったら素敵だろうなとたくさん想像できる。
今の練習をリードしてくれる母たちも、伴奏者の母たちも、歌う私たちも
どう歌えばいいのか、どうしたいのか、自分たちの中に歌がある。
先生がここにいるかのように。
先生に今でも彼女らは指導をお願いして、練習の時に先生のアドバイスを伝えてくれる。
そして、同じ母としての彼女らは実は先生よりも遠慮がなくスパルタだ。
自分たちはできる。と、信じて前に立ち、私たちも、母たちだけで歌いきりたいと皆一緒に前に進んでいる。

まずは今月末。
子たちへこの歌を届ける。
12月にあるステージも私たちは、きっと楽しめる。

そして、去年の12月、サヨナラができたように、
今年の12月には私にオ シャンゼリゼが流れたらいいなあと
歌に恋と人生を重ねて。

育てる肌

美しい肌の人に、またはTVの中の人たちも、
肌の美しさの手入れの方法や、秘訣を尋ねても、
「何もしていない」
と、返されたりする。

最近、私も肌を褒めていただくことがあるようになった。
何か、変わったかなあ。
と、考えてもすぐ、とっさには何をしたことが肌を変えたか思いつかない。

「何も・・」
と、答えるかもしれない。
でも、それは何か月も前に変えた美容液のせいかもしれないし、
ちょっとしたコットンの使い方かもしれないし、蒸しタオルや
自分で作る化粧水やマッサージオイルの精油やキャリアオイルの選択や配合が良かったのもしれない。
ただ、触れ方が変わったのかもしれない。
習慣が徐々に肌を変えたのなら、毎日使っているものも、していることも当たり前すぎてなかなか何が秘訣かは答えにくく、本人も気づいていないことや気にも留めていないことなのかもしれない。

メイクは、まだまだ上達しないし、まだ、何より楽しめていない。
肌力を上げて、今と、これからの仕事のためにも肌を育てていかなくちゃいけない。

長女の肌も、ホルモンの影響を受け始めてややこしいことになってきた。
そろそろ、ママの出番かもしれないな。
少しずつ、肌と体の変化に習慣を変えて女になって、肌も育てていく。
とりあえず、肌が良ければ気分もいいのだ。

今の私

髪を短くして、メイクを変えた。
眉尻まで描くのを少し短くした。
そして、少し太く描く。

目尻に細く、したまつ毛の目尻の際にも細くラインを描く。

チークを少し中央寄りに、高めに入れるようにした。

アイシャドウのセンスは、20代の頃から上達していない。
引き算メイクのセンスを磨いてから人前には出よう・・・

ピアスも、心掛けてつけるようにしている。

今の私を
毎日鏡で見る。
毎日触れる。
そうして、今日を過ごす。
今、ある手帖の予定の毎日をこなす。
来月、再来月の予定が埋まっていく。

ホ オポノポノ 4

この良いところは、まず自分の幸せを優先しなさいと言っていること。

思い出し、再生される記憶や、悪とする記憶に「✖」と、消しなさいと言ってくれているのもよい。
ついつい、妄想妄想・・・・と、あったことかなかったことか、
想像も勝手に作られて行くからㇷと、無になる狭間に落ちてしまう記憶の再生に「✖」と心の中に書く。一日中何度も書く「✖」。

アルボムッレ・スマナサーラ著の本を何冊か読んでは見たが、よく似た方法だなと。

心に引っかかった言葉を目印に、今日も、

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

これを、誰かに向かって言わなくていいというのも、よい。
言葉は、誰かに向かって言うものだと思い込まなくていいと言ってもらえたから言える。

衣装ケース

先日書いた衣装ケース。
なんだか、書いてしまうと、
「あ~、これを残して、この小さな服を抱きしめて、この時代の子らをを愛しなおそう」としているから、
今、目の前にいる子らを愛そう、愛そうととても頑張らないといけなかったり、
愛さなくちゃと思いながら愛していないことを感じて、
また、愛されていないことを感じ取られているのだなあ、と気づいたりした。

これが、断捨離というものの捨であり、離なのだなあ。

なんだか、置いておきはするが、今一時、離できそう。
書いたおかげ。
書いて、捨した。