逃げた二月
二月は、本当に2(逃)げた。
見たこと、話したこと、行ったこと、留めておかないといけないこと
手元のノートに走り書きしてあることはたくさんあるのに、
こうしてパソコンに向かってキーボードを打つ時間は確保できていなかった。
二月の最終日曜日は暖かで、毎年お詣りする立木山観音へ出かけた。
長女は毛虫が嫌だというので、春や夏はのぼらない800余段の階段を
次女は、今度こそ間違いなく数えきると、一言もしゃべらずにもくもくとのぼっていく。今回は806段だったらしい。
立木さんと親しみを込めて呼ぶこの寺は、空海さんが開かれた。
厄除け、厄払い、開運、家内安全・・・
日々の生活の中でコントロールできない何かを正しに行く。
2月の初めにも吉田神社の節分祭に行った。ここも厄除け厄払い。京都の鬼門。
今回は初めての明るい時間。明るい雑木林の吉田さんの境内。懐かしい。
本宮、菓祖神社、大元宮、竹中稲荷神社へといつもの順序でお詣りして、
子らと人形に名前と数え年を書きご祈祷してもらう。
菓祖神社の豆茶で温まり、河道屋のワサビと大根おろし、刻みのりのそばで年越しをする。
そうだよ、一年の始まり。
前の記憶や、思い出をこうやって少し、少し、押しやって
今を上書きしていく。
たくさんの夜店をひやかし、食べ歩きしながら歩いていくと
昨晩退治された鬼達が、心を入れ替え本宮へと列になって歩いているのに出会った。
そうやって、退治され、また一年の間にまた鬼になり、ワーッと大暴れして
また、退治されというのを繰り返しながら一年、
私たちはまた厄を落とし、また厄をくっつけ生きていく。
そうそう、立木さんでいただくお札が、とても毎年可愛らしくて大好き。
就学前の子らには、
とうさん
かあさん
ののさまの
とうといごおんをわすれずに
と書かれている。
それ以上の子らには
ああ今日も
生かされている
ありがたいことだ
大人には
朝にも夕にも
観音を
念ずべし
枕もとにあって、安心して眠れる。
子らのこの言葉を唱える声が好き。