キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

栗ご飯

栗ご飯を炊いた。

母のいない台所。
友人達と一泊旅行。
めったにない私一人の台所。
私が決めて、私の台所時間、私の時間。
栗を水につけておいて、外の皮をむき、渋皮を削るように剥く。硬い。
この作業がつらいのだけれど、栗ご飯を炊くためには絶対しなくちゃ。
辛いけど、嫌いじゃないことの一つ。
すこしの酒と塩、もち米と栗と少なめの水をセットして。
面倒でも滋養のある季節のものを食べたい。

おはぎを作るとあんこのよりきな粉の方が子たちは好きなようで売れ行きはいい。
もうすぐ渋柿を収穫して皮をむき、軒先につるす。
夏より時間がゆっくりしているようだ。
今年はサンマが豊漁らしい。
炭火で焼いている。
秋だ。

ママの栗ご飯また食べたい。
たまのママの台所。
そう言ってもらいたくて。

今は宇治の市民だ。田楽祭り

宇治の田楽祭りが終わった。
月が出ていた。
風が冷たかった。
子たちは去年よりも、一昨年よりも踊りが上手だった。
しの笛をふかせてもらえる曲数が増えた。
同じ宇治に住む市民の一人として、大人も子供も、知り合い、共同することは心強い。

こんな一つ一つに、あの集落を思い出し、
もしまだ住んで祭りの担い手として私たちがあったならと
裸足の砂の感触を思い出しながら、あの砂浜に重ねるように想像する。
少子高齢化と過疎化。
重宝がられたであろうに。

祭り

子たちを連れて家を出るまで住んでいた集落には、
無形文化財に指定された古くからの祭りがあった。
家の前の道を降りて行ったいつもの見慣れた浜辺が祭りの場になる。
その日のために長い時間をかけて食材や、船をこぐ練習や、舞の練習やたくさんの準備をする。
大人から子供まで。
小さな子供も。
男の子も衣装を着て、木の棒を振り回す。
砂浜で棒打ちを披露する。
幼い子はその姿だけであ可愛らしく、大きくなるにつれ勇ましい。
女の子は、面をつけて化した神様につく稚児の役があった。
舞の披露もある。
婦人会の女たちも舞う人、客をもてなす人など、集落をあげての祭り。

私はそこに住んで一度も祭りに役立ったことがなかった。
妊娠出産、乳児期で手伝いにもならなかった。
夏の繁忙期、自営の家業の仕事に私が専念できるようにと両親が来て子守や家事をしてくれていたが、この祭りの時にも頼めばよかったのか。
祭りに参加できない、しない者は、祭りの後公民館で催されるお疲れ様会への参加権もない。
折りの弁当もなければ、席もない。
手弁当で参加してもむなしく居心地悪いだけだ。
私と子らは早々と帰ったものだ。

その集落に住むとき、元夫は
「自分の身は自分で守れ」
と、私に言った。
確かに、どんどん敵は増えていった。
私たちは、そこになじめなかった。

夫から逃げ、その集落に貢献できるまで頑張れなかった自分をいなかったことにした。

今住んでいる宇治で、田楽祭りに子らは3年目の出演だ。
今頃、あの集落でも、祭りの練習や準備に毎日忙しいはずだ。
あのまま住んでいれば、あの砂浜で祭りに出ていたであろうことを宇治でやっているなんて。



ギュッ

夜、その日の用事を全て済ませて私の就寝。
座敷に3枚並べた布団。
私、次女、長女。
乱れた掛布団をかけなおしてやりながら次女のそばに横になる。

「ちょっとギュッとして」

と声をかけると寝ぼけたまま、何も言わずにギュッと抱きしめてくれる。
熱い体温。
いつもかわらず、眠るときにほしいもの。
ギュッと。
眠る前は甘えたいんだよママは。

電話を受ける事

いくつかの仕事を掛け持ちしていて、
その場所、その時で、名乗る名前や、屋号は違う。
電話を取る一瞬、今がいつで、今どこで、何者として電話に出るのか自分を確認してから出る。

これからどんどん年をとって、
いつか、いろんなことを忘れて、
自分や、子の名前も顔も、
いろんなことを忘れていったとしても、
毎日何度も電話口で名乗っていたあの屋号は記憶として忘れて行っても
口は忘れずに口をついて出て来るのではないかと、怖い。