キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

ちいさな旅

GWは、毎日仕事だった。
人がいっぱいの時に出掛けるのがしんどかったのと、
休みが取れなかった。
時間まで仕事をして、
夕方の早くから庭でバーベキューをしたり、
最寄り駅で待ち合わせして小さな山へハイキングに行ったり、
宇治川サイクリングに行ったり、
ちょこちょこっと遊んだGWだった。

で、6月の小学校の振り替えの休日の連休を使って小さな旅へ。
実は、自分の運転で大阪方面に行ったことがないので行きたいところはいっぱいあるが大阪を越えるのがハードルが高い。
また、その旅の前日は夜も仕事だったので、長距離の運転も自信がない。
だから、ほんとに、小さな旅。近くの旅。
奈良、明日香村へ。
飛鳥時代への旅へ。
20年以上前、友人とレンタサイクルで周って以来。
その頃、まだまだキトラ古墳も、高松塚古墳も発見されたばかり、発掘調査がされているころで、
石舞台や、鬼の雪隠やらを見ながら田舎道をこいだ。

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それが今や資料館や、公園として整備されていて素晴らしかった。
小川が流れていて、カエルや、ザリガニ、たくさんの生き物がいて古墳や資料館見学そっちのけで、ピクニックのようなゆったりとした時間を過ごした。
6年生と2年生では見るもの、知りたいことに差がありすぎてなかなか難しいのだけれど、
1400年もの時間経過の中で残って浮かび上がるその色彩に感動する漆喰の上に彩色された四神、女人たちの姿と、石を動かし形づくる人の力を想像した。
キトラ古墳壁画の公開期間中だったので、ほとんど、泥の雨水やカビで見えない青龍を見た。
何世紀をも超えた時間。

日昼は晴天。
甘樫丘に登って夕日が山に沈んでいくのを見送った。
私の旅にとって、夕陽を見るということはとても大事だ。

その場所で、その日を過ごして、私が居たということと、
その場所で泊まって、夜を過ごし、朝を迎えるということ。
明日香という場所と、飛鳥という時代を想いながらそこにいるということ。
夕日が沈む山を見て、
夕焼けの色がうつる田植えが始まろうとしている田んぼの水面を見て
夕焼けの色をした東側の山を見て、
そこにいる子らと、他の同じ夕焼けを見に来た人たちと過ごす。

覚えていてくれたらいいな。子らが、私と、ここで夕陽を見たこと。



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その日の宿泊は、蔵を改装したお部屋。
梯子を上がって、太い梁を見ながら隠れ家みたいな屋根裏みたいなうれしい寝床。

楽しい小さな旅。
またしよう。小さな旅。

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前歯2本

次女の歯は、今、上の前歯2本ともない。
一本は半年かかって1mmほど生えてきてはいるのだけれど、
おもしろい顔をしている。

不自由でもあるけれど、上手に話もしているし、
ピンクの歯茎が際立って、
本当に面白い顔をしている。

大人の歯が生えてきて、急にグンとお姉さんの顔をするつもりだろうか
この面白い顔をして。

面白いと書いて、カワイイと呼んでいる親ばか。

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親離れに気づくはじめの一歩

大事にしてきた歯に、長女6年生、虫歯の連絡をいただいた。
決心したものの、歯の矯正の受診も後回し後回しにして。

最近、与えているおやつ以上のおやつを、
決めた時間以外、以上に隠れて食べているなとは薄々思っていた。
また、おやつはおにぎりや、パン、お餅、果物やなんかで、
おやつと、お菓子を与え分けていたのに。
机の引き出しや、カバンの中に冬眠に備えたリスのように、お菓子が隠してあるなと。
親の目を盗んだ、初めの親離れに気づいた出来事だった。
その結果としての虫歯なら、自己責任だねと思っている。

もう、4,5年生で第一次思春期反抗期の山は経験したので
ある意味その結果としての虫歯かもしれない。と。
もう、ほとんど永久歯大人の歯に代わっている。
自分の歯も、体も自分で自覚した管理を任せる時が来たのかもしれない。
治療や、矯正の責任は親として持つけれど、
自分を大事にすることは自分しかできないことを、責任と知らなくては。

ひっ算を知る

次女2年生。
ひっ算で二けたの足し算、引き算を習った。

正直、長女と比べて悪いが次女は教えたことを記憶することも、
自分で考えることも、やや苦手だと思っている。
それは早生まれだということもあるし、少し遅いのだろうなと、
末っ子の可愛さもあっていろいろ大目に見てきた。
2年生になったことだし、
学校生活に慣れてきて、いっちょ前に手を抜くことまでし出したので
これは喝を入れねばと、少し厳しくもしてみた。

そこに、ひっ算。
今まで横書きにしていた算数の式が二階建てになって、
なんだか急にわかった、理解したらしい。
ひっ算の二階建ての式を前に、ようようと説明してくれる。
そして、パ~っとひと皮むけたように、

イヤイヤだった宿題の始め方も、
おうちの用事も、行動も積極的。
楽しそうになった。

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何かができるようになる、
自信が持てることができる時の変わる様を
目の当たりにできる時というのは面白い。

長女は勉強に関しては、うっかりの間違いはあっても
今まで習うことを一歩一歩理解して、確認して、まだ周りを見ながら登っていく
余裕すらありそうに6年生になって、
苦しむ姿を見なかった。
違うことであなたは、ひと皮も、ふた皮もむけていく苦しみと
軽やかになっていくのを知っていくだろうなあ。
相当、高層のひっ算を背負って。
私と同じように。

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言葉の不思議

基本、徒歩圏内に生活、仕事の範囲においているので、
格段に本を読む時間や、日記を書く時間が減っている。

通学や通勤の時間には、たくさん本も読んだし、
向かいに座る人たちをチラチラと盗み見て
カバンの中の画帳にクロッキーしたものだったが、懐かしい。

最近、ジュンパ・ラヒリ著 「別の言葉で」を読んだ。
両親からはベンガル語、生活圏はアメリカなので英語。
そして、出会ったイタリア語に魅せられてイタリア語で文章を書いている。
イタリア語だからこそ書けたという、物語。
そのそれぞれの言語だからこその人としての人格、行動、思想というものがあるのだろう。と思う。

私は、I~~.で始まる文章が好きだ。
必ず、‘私‘があるから。
言葉の中にも、生活の中にも、‘私‘を見失うこと、無くしてしまうことが怖い。
失くしてしましそうなとき、わざわざ、「私」という。
または、なぜだか、頭の中で言いたいことが英語で浮かんで、
それを翻訳するように口で日本語で話すようなときがある。

自分でもおかしいのだけれど。

この本、私がモヤモヤと思っていたことや感じていたことを
とてもなじむ言葉と空気感で書かれていて、気にいっている。

 

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

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