キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

はまり中、韓国ドラマ

今、韓国ドラマ「雲が描いた月明かり」を子らともどもメチャメチャ楽しみに見ている。
毎火曜日の21時~2本立てで京都放送でしているのだけれど、
次女3年生は、もうその時間はお眠。
長女は中学生になってから自習の時間を決めている21時~23時。
クラブをして、夕食までの時間は自由時間。
夕食後のその時間は絶対の確保!
ばっちり放送時間帯。
録画して、後日皆でキュンキュンさせてみている。
子らと共有する初めての記念すべきお気に入りドラマ。

次女はこの主人公たちを見ていて、キュンキュンしすぎて可笑しな、やらしい照れ笑いと鼻息で興奮しまくっている。
その姿を見ているこっちが恥ずかしいような面白さだ。
長女は、もう少し見られていることも意識しながら密かにドキドキ!キュンキュン!している。
彼女たちはたぶん、ヒロインのキム・ユジョンになり切ってみているはず。
私は、もうキレイでカワイイ男の子パク・ボゴムにメロメロ、キュンキュンなのだ。
全地球の0歳から100云歳、35億の男たちと出会うことも知り合うこともなくとも、画面のに映る一時の間、キレイでカワイイ男の子を見て、ほ~~と幸せになるって、ただただ幸せ・・・~
その違った楽しみ方ではあるが、その一時を共有している女子の幸せ。
イイよイイよ!!イイよね~

あああ~~~
ママももっと、若い時、キレイでカワイイ男の子と楽しんだらよかった~~

奈良に春や秋行きたくなる。
奈良の町も、奈良公園も、春日大社も好きだから。
で、ここにもたくさんいるんだよね車夫たちが。
子らは、その人力車に乗せろ乗せろって簡単に言ってくれるが、ちょっとママにはお高い・・
だから、なかなかそうはいきませんぞ。
ママ好みのとびっきりきれいな男がいたら、乗せてあげます。
また近々行きましょ!

朝ドラと一緒に

今の朝ドラ、半分青い。
今までの朝ドラと全く違う。
私と同じ世代の主人公たち。
私たちの子供だった時と重なるときも、
覚えのあることも、
懐かしさが甘くも、痛くも、可笑しみも。
毎朝の15分の時間がないので、
夕食時に皆で見ている。
もう、終わりに近づいている。

今や、朝ドラの主人公らも離婚するのだ。親たちも病むのだ。
養育費の入金の確認の電話もかかってくるのだ。


・・・私もそれくらいすべきなのか。

いつかゆう子ちゃん役のセリフであった「誰かの分までじゃなくて自分の分だけ頑張れ」
みたいな。

うんうん、私がしたい、私がしてあげたい分だけ、頑張ってる。
誰かさんの分まではしてない。
だから足りてるか足りてないか、わからないけれど。
もうすぐ、そのゆう子ちゃんが住む仙台、東日本大震災起こるのだなあ、と2010年の画面を見ている朝ドラ。
主人公たちと同じ世代の私。
朝ドラのたどる時代を一緒に感じ、思い出しながら見ていた。
私の2010年も思い出しながら、今週も見ている。

怖いものの一つ

市の特定検診へ行った。
去年は行きそびれた。
その前は、行く気がしなかった。
その前は、生きたくないと思っていた。
その前は、人間ドックが辛すぎて、もういいやといかなかった。
その前は、40だし、と半日人間ドックに行った。
その前は、なんとなく行った。
その前は、・・・忘れた。

今年は、ちょっと、もう少し私が頑張りたいから行った。
で、当日の乳がん検診の空きがあったので受ける気はなかったが受けることになってしまった。
とにかく、虫歯も自分でおかしいなあと思っても治療が怖いので、
定期的なクリーニングの時に見つけてもらうようにしている。
乳がん検診も、見つかったらと思うと怖いので自分での毎月の自己検診はしたことがない。マンモグラフィ検査も見つかったら怖いので長いこと受けなかった。
結果は郵送、触診も受けた。
毎月の自己検診をしてるかと触診しながらの女医に聞かれたが、怖くてできないと正直に言った。触診よりエコー検査のほうがいいなあと思いながら。
それなら、夫やパートナーにしてもらいなさいとも言われた。
それには返事をせず、そんなのはいないので、それ用に確保しなくてはいけないかしらん。
と、おかしなことを考えてしまった。
でも、いたとしても、見つかったら怖いのでやっぱり頼まないと思う。
見つけない、治療しないという選択はいけない事?
それも生き方と、認めてはもらえないのかな。


さくらももこさんも、乳がんで逝かれた。
女ゆえの生き方、逝き方。

極夜行

子供の送迎などで図書館や書店に行って時間つぶしする時間が少しはあるが、
本を読むという時間を捻出することが難しいので、読む本を選ぶことに慎重になる。
以前から好きな著者や新聞や雑誌の書評で気になる本を手に取ることが多い。

作家、探検家の角幡 唯介さんの「極夜行」を読んだ。
でも、すみません。
書籍出版業界には申し訳ないけれど、自宅の収納や特に手元に置いて何度も開きたいと思う本しか、今、購入しないという決意のもと図書館でリクエストして借りて読んだ。
いつまでに返却しなくちゃというほうが、忙しさに本を読むという時間をとることを後回しにしてしまうことをなくせるような気がする。
で、待ってましたと「極夜行」を読み始めた。

 

極夜行

極夜行

 

 


本の始まりは妻の分娩からだった。
私にとってはもう読み始めからして、雲行きが怪しい。
子宮口がなかなか開かなかった彼の妻は難産だった。
その開くまでのつらさを私は体験していない。
出産の幾日も前から開き始めていた。長女の時は早産気味で何とか37週まで・・と念じつつ、次女の時は子宮口全開なのになかなか陣痛がおこらなかったから。

著者はその時間を病室にただ居た。男とはそういうもので、何かができるとは思っていない。
立ち合いをした著者が風速30mもの暴風が病室に吹き荒れているという妻の出産の戦いを究極の自然体験型活動と呼び冒険の比ではないと。
著者が冒険という外側の自然を、一時体験している皮膚一枚で自然と接触しているだけ。
自然に対する畏怖、肉体的な限界や死を感じた瞬間、認識したと書いてきた観念的事柄一切合切を浅薄で独りよがりなもののように感じた。

と、読んでしまったら、女の妊娠出産という究極の自然体験をしたものとしては
じゃあ、もう、これ読まんでもいいかな。
みたいな、ちょっと肩透かしを食ったようにスッと遠のいてしまった。
また、元夫が長女の出産の立ち合いをした時のことが思い出されてなかなか読み進めることが出来なかった。
そしてまた、学生の時、物書きになりたかったという元夫が文章を書いたらこんな語り口ではないかという文体と所々のアカンタレさが似すぎてて余計に鼻について。

でも、まあ、読んでいて、あ~~~、とその感覚を想像したのは
「闇の中で感覚が奪われることで自分の身体感覚をおぼつかないものと認め、全否定しなければならない。」という、おのれの身体感覚のみを根拠にした推測、判断を過信しすぎている日常について考えて想像した。
と、「闇に対する恐怖は見えないことで己の存在する基盤が脅かされていることからの不安感から生じる。」
「人間の存在も時間と空間の中にしっかりとした基盤を持つことで安定する。
安定のために光が必要。
なぜなら、光があれば自己の実体を周囲の風景と照らし合わせて客観的な物体としてその空間の中に位置づけることが出来る。例えば周囲の山の様子が見えればあの山とこの山の中間に立っている今の自分の空間的位置づけを今ある実体として把握することが出来、今日はその間を流れる川に釣りに行こうと未来の自分の行動を組み立てることが出来る。具体的な未来予測が出来ればその予測している期間の自分を生きている実体と想像できるわけだから死の不安から解放される。」と、言うところ。

極夜に行かなくても、実生活で、いつでも、だれもが闇に迷い込むことはいくらでもある。
私も知っている。
自分の実体があるのかないのか、どこにいるのか、怖くて動けない、目があいてるのかあいてないのかもわからない。
光を待つか、光を探すか、光を作るか。

とにかく、3週間の返却期限をギリギリに冒険部分はサ~と読んだ。
いくつか、この著者のエライと思ったのは冒険をすべて自己資金ノースポンサーで行っているということと、
妻の出産の時、分娩台の股の向こう側でなく妻の傍らにいたということ。
私の場合、もう少し陣痛で苦しむ時間があるだろうと思っていたが、その出産に向かっている自分の状況に慣れて認識するより早く分娩台へ登ってしまったので、わけもわからず本番を迎えてしまった。
何度かのいきみの合間には医師とおしゃべりにはしゃぎ、
いきみの時には相撲の取り組みに声援を送るようなお祭り騒ぎで股の向こう側に陣取っていた元夫。
わけがわからないまま、夫の所在など気に留める間もないほどの初めての出産をした時のことを今でも思い出し、
妻ではなく、出てくる子への、または出てくる様子に気を取られて
妻が出産というものを命がけでしているその時を、
その時も、軽々しく、または、君なら大丈夫やろうと簡単に思われていたなあと今でも思う。

旅の終わり、
「この冒険が極夜という胎内から光を見るという己の誕生体験を追体験することだった。」
にいたるところは初めの出産場面の始まりから想像がついていた。
いや、きっと女だったらこの冒険の計画からして目的はそれだろう。
極夜のその時間、過程を体験したいというのだから、男は冒険家なんだろうなあ。

子らも苦しむ毎年夏休みの読書感想文。
これは私の読書感想文。お粗末様。

下保先生

日本画家の下保 昭先生が、7日亡くなったという訃報を新聞で知った。
四半世紀前、私が美術短大の学生だった頃、初めてお会いして声をかけていただいた。
その時、夕焼け空に電線が連なっている絵を描いていて、
その電線の最初の一筆を入れるのを怖がっていた。
まだ、絵の中にその線のあるべき強さも黒さも見つけられていなかったのだと思う。
その一筆を入れるのを

まだ入れないか、まだか、まだか・・

と、私の後ろで可笑しそうに、もどかしそうに待ってくださっていた。
名誉教授だったか、年に一度か二度来校されるほどで、めったにお会いできないゴットファザーのような迫力があった。
母校の日本画研究室の私の助手勤務時代、何度か食事会でご一緒させていただいた時も、恐れ多くて近づけなかった。

今、その夕焼けの電線を描いた絵は自宅の階段の壁にかかっている。
やっと、苦しみながら、恥ずかしがりながら描き入れて、
「怖がるな」
と、一本、描き入れてくださった先生とつながった黒い線がその絵の上にある。
私の大事な絵。

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