キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

春の大連休はゆるゆると

10日もあったGWでも、長女中学2年生はクラブ活動も半日だけれど半数はあったし、
私もサービス業なので全くの休みではない。
シフトを長女のクラブ活動のない日に合わせて取るくらいで、遠出はしていない。
次女にとっては退屈な期間だったろうが、町内に引っ越してきた同級生男子と意気投合して町内の道を自転車で走りまわっているうちに終わっていく。
天気が回復したGW後半は、庭でバーベキューしたり、敷地内に張ったスラックラインで遊んだ。
スラックラインは子らはそのラインの上を歩くことに挑戦しているが、
私は片足で長く静止していることを楽しんでいる。
時間にしたら、私が一番長くそのライン上にいて、ハマリまくっている。
日昼はもう日射しが厳しいので、これからは夕食後、子らを寝かせてからやりたいくらいだ。

畑は、もう夏野菜を植え始めるころで、トマトやキュウリ、万願寺唐辛子やオクラ、ゴーヤを順次植え付けていく。
その畑の西側には今年も梅の実がなってきている。
木イチゴの花も咲いているし、レモンの花ももうつぼみが開きそう。
庭のジャスミンは蒸せるように香っている。
つつじは満開だし、チョウやハチに並んで次女も蜜を吸っている。
家の周囲にはミントやドクダミが元気に葉を茂らせ始めたので、またお茶にブレンドするために摘んでざるに広げて干している。

特に何をしたというGWではなかったけれど、ゆっくりとした春の日常を過ごした。

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

ウニヒピリと

私の彼岸の風にあたりすぎて、おかしなことになっている。
20年来の友に貸してもらった本、ウニヒピリ。

 

ウニヒピリ ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」

ウニヒピリ ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」

 

思い出したように、 私のウニヒピリを迎えに行ってその彼岸に連れ帰ったはいいが、
懐かしいと苦しいがまぜこぜになって疲れてしまった私。
私のウニヒピリはいつもの私の椅子に座って南風がいっぱいに入って
白いレースのカーテンが大きくなびいて、
その風を受けながら待っている。
ただそれだけ。
ずっとそこに座っているだけ。
何も見ていない。
私が声をかけても何も聞こえていない。
聞こうとはしない。
私は私のウニヒピリの顔を知らない。
完全にオホノポノから外れてしまっている。
ウニヒピリを支配しコントロールしようとしているのだから。
とても静かで、とてもダイナミックな対話。
とても結果や成果が見えない永遠。

まだそこが私の住処だった頃、
友人が「ホ オポノポノって知ってる?」
と、ごめんなさい、ありがとう、愛しています、
を教えてくれたが、記憶をクリーニングするってことを拒んだ。
その気持ち、何に向かってそれを言うのか。
できなかった。
でも、今もまだムツカシイ。
私もただその窓辺に座るだけ。

ギュって

7年。
長女が生まれて島で元夫と過ごした時間を
離れて過ごした時間が越えてしまった。
次女3年生9歳なんかは、もうとっくに越えている。
次女に、
「こないだパパに会った時、抱っこしてもらった?」
って聞いたら
「ううん。してもらってない。」って。
ショック。ショック。ショック。
ママがショック。

ママは、遅くにお布団に入るとき隣で寝てる次女に
「ね~ね~ぎゅってして」
って声かけたら寝ぼけながらもぎゅってされたいくらいだよ。
してくれないほど寝入っていたら、手つないで寝たいくらいだよ。
ふとした何でもない時にも、ぎゅってしたいってギュウってしちゃうくらいだよ。
あんたたち、久しぶりにあってもパパにぎゅってされないとは、
もうそこそこまで落ちたね。
もう、パパは十分に別の子で足りてるってことだな。
全然、お互いに連絡しないからお互いに冷めてきちゃってるんだよ。
離れてるってこうゆうことなんだ。
養育費がフェイドアウトしていくってこういうことなんだ。
パパが育てたかった想像の娘像と擦れてしまっているのだな、一緒にいないことで。
島で育っていないことで。
ママといることで。
次会った時には、ギュってしてあげなよ。してもらいなよ。

ぼんぼりの灯り

私のおばあさんが買ってくれた七段飾りのお雛様を飾っている。
子らは毎年着物を着てひなあられを食べて、お道具で遊んで、写真を撮る。
そして、春休み、または旧の暦でお雛様を片づける。
その間、私たちの寝所に使っている和室はお雛様のぼんぼりをつけていたりする。
気持ち悪くも怖くもないが、
その灯りはひときわ私と子らの三人なのだとはっきりさせる。
いつもの保安灯の豆電球の灯りは、あの島で眠っていた時と同じ。
どこにいるのか錯覚してしまうくらい。
その時も、眠りにつく頃は二人の子らと私の三人で
元夫がその時間寝間にいたことはほとんどなくて三人が日常で
今も、夜はその延長のようだ。
だから、お雛様のぼんぼりの灯りも、毛氈の赤で部屋の壁がいつもより赤く見えて、
全く別の次元を生きているとはっきりさせられている。

それにしても、子らが小さくて小さいほど、私の体は疲れてしんどくてつらかった。
午前は元気に動きまわれたが、昼を過ぎるともう息をするのも立つのもつらいほどに疲労困憊していた。
今は仕事をして、家事をして少々の夜更かしも平気なほどなのに。
今が、一番元気かもしれない。
どうしてあの頃あんなに体も動かないほどしんどくて、眠くて、つらかったのだろう。

彼岸の記憶

春分の日
キリストの復活祭イースター
春の彼岸。
そんな日に、7年前のその日私は家を出て、逃げた。
この日を目指してかのように、気候の不安定さもあるだろうが、
体も心も7年前に引き戻されるように苦しい。
が、養育費も滞っていて心細い、ふと気が緩むと記憶の嵐につぶされそうで怖い、
と仕事の時間を詰め込んで子らは家で退屈しているだろうが、出勤した。

夜、一人になった時間、7年前からそこを動かない私の小さなウニピヒリを
私が迎えに行く。
彼は迎えには来なかったよウニピヒリ。
これからも迎えには来ないんだよウニピヒリ。
ごめんね、島に帰りたかったの知ってたのにウニピヒリ。
今日はお彼岸。
この期間くらいは島に帰ろうウニピヒリ。
私が連れてくウニピヒリ。
西向きの玄関。
いつもきれいに掃いて磨いて、子らも草履を並べてそろえてたね。
白いレースのカーテン。
いつも掃いて拭き掃除した廊下。
南向きの窓は明るすぎるくらいだった。
海からの潮風ですぐ曇って汚れる窓のガラスは毎週大掃除みたいだった。
東の台所の窓はブーゲンビリアが元気だった。
青い食器棚は2年前に見た時すごい傷がついていた。
悲しかった。
私の誕生日に買ってもらったガスオーブン。
たくさんパンやケーキを焼きたかった。
そのガスオーブンを載せる台はわたしが寸法を考えて作った。
たくさん雨が降ったら壁から水がしみてくるような粗末な作りだった。
ねずみが入ってこないように換気扇はずっと回しっぱなしだった。
ウニピヒリ、あなたはこの家が好きだった?
あの水色の軽自動車でドライブする?
家の前の浜を歩こうか?
気がすむまで居よう、お彼岸だもの、帰りたかったねウニピヒリ。
ごめんねウニピヒリ。
迎えに来てって言わせなかった。
そこで生きていく力がなかった。
独りだった。
そこで、誰にも助けてって言えなかった。
もう少し私のウニピヒリと彼岸で過ごす。