キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

残している記事、響き震わす言葉

もう何年も前の別サイトのブログの記事において、誤った記載があること連絡をいただいた。
根拠は何か、出典先はどこからで誰のものか。
その頃の私も完全なる引きこもり状態で、社会とつながっているものは購読している新聞が主だった。
たいていの気になる記事や資料としてスクラップしているはずだから探してみたがその記事に限って見つからなかった。
間違いなく新聞の切り抜きと他の手に入る情報などを頼りにそのページを書いたのを覚えていた。
その研究による結果が誤りで、今は書き換えられていることを知った。
私もまたそのページのその文言と特定するものを訂正した。
が、その時その時点で感じたこと、心が反応したことは忘れたくないと思ってそのページは残したい。
その旨、訂正したことなどと謝罪とを返信した。

もう何年も前でもその箇所に気づいて、私を見つけてくださったことに驚きもしたが感動した。
そして、書いて残していくことに怖さも感じて緊張もする。
今、この小さな画面でいろいろなことが知れる、知りたくもないことも知らされる。
そして知りたいことには、知っていることが多ければ多いほど本当に知りたいことに行きつける。そしてそれ以外のことは素通りしてしまうことが多い。
この小さい画面での作業は向いていないのかもしれないし、もっと上手になっていかなければいけないことだし、自分でできる調査実験はしていくべきだし、臨床結果として確かなものを手に入れるために労を惜しんではいけないということも改めて知った。

そして私のスクラップブックは10年近くたって十数冊と増えているが興味の対象は大きくは変わっていない。
そして、まだ大きく変化も起きてはいない。
私も、そこに踏み込んで間がない。
そして、知っていることもつながりもまだまだ少ない。
スクラップの記事は読み返しても読み返してもいろいろな響きをくれる。
今日もまた小さな記事を切り取った。