ずっとあのまま、私のもの
地震のあった朝、私はあの島のあの家にいる。
東向き窓の向こうにブーゲンビリア。
ねずみが出入りしないように窓に取り付けた換気扇は24時間回っている。
一番安かった台所のシンクは私の身長にも低かったので、台をつけて5cmほど高くしていた。
コンロの右に卓上の大きなガスオーブンを置いてある。
その台はスチール製で自分で採寸して作った。
青い食器棚はきれいな青で、とても滑らかに開閉するたくさん入る引き出しが三段ついている。
その中には、かつてたくさん並べていた食器があったが、その大半は私の手元へ持ち帰った。
今その台所にあるのは大きくて運び出せなかったものと、そこでの生活で特に出番の多かったもの。
その朝震えた食器は、染付の直径15cmほどの平皿と、白磁作家の取り皿と平小鉢。
2人で揃いで買い求めたコーヒーカップや湯飲み、初めて2人で暮らし始めた時にそろえた2枚ずつの皿。
想いの強すぎた物たち。
私の台所、私の食器棚は帰ったらすぐ台所に立てるように
出かける前の整頓したままの姿だ。
あの朝、その台所まで呼び寄せられるまで、
私はいつも密かに風に揺れるカーテンからも
見知らぬ人に料理をのせられる時も、その皿たちからカップから
毒を滲み出させていた。
じわじわとうっすらと、濃く、しっかりと。
ホ・オポノポノと穏やかにできるわけがない。
そうやって猛毒を吐くのもデトックス。
でも、地震に怖がった食器たちに会いに行ってちょっと変わっていっている私に気づいたよ。
実際どう使われようが、どんな姿になっていようが、
私の台所も、食器棚も、お皿もずっと私のもの。
ずっとあのまま。
ありがとう ごめんね 許してね 愛してる