キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

浴室のリフォーム

銭湯通いもあと一日。
もうすぐ浴室のリフォームが終わる。
むき出しの壁面には明日断熱材が入れられ、悩んで決めたパネルが貼られてもうタイルの白い目地をこする掃除から解放される。
コンクリートの床は膝をついても痛くない、冷たくない床が貼られる。
ダストや配線が垂れている天井は、もうカビが生えることもないよう、それを防ぐための掃除もしやすい素材になって晴れ晴れとするだろう。

でも、父母が建てたこの鉄筋コンクリートのこの家のリフォームを水回りを中心に毎年のようにしているが、毎回とっても気持ちが重い。
それぞれの場所は快適にはなっていくが、心は晴れない。
リフォームの度に、家族、その歴史、かつての出来事、傷つけた言葉、それらがつながった今も、みんな解体されて目の前に散在する。
新しい建材に覆われて整った表面のように、このままここで生きていくのか。
みんなが、それをいやだと思い、いやしかたのないことだと思い、誰かが一つうまく小さな石を投げてくれないかと思っているような、じわじわとした臨戦状態。

同じ町内の何軒かの高齢住居がそれぞれに終の棲家としての利便性と安全を求めて増税前にリフォームされている。
私にとってはまだ子らを育て送り出すための家だ。
しかも父母の家の間借り、仮住まいの場所にしておきたい。
父母にとっては終の棲家であろうか?
たぶん、私はここで、親たちも送るのだろう。
みんな送っても、ここにいたいと思っているだろうか。
みんな送ったら、ここを離れていいだろうか。
独りで決められないことだけれど。