キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

絵を切る

宇治市も、もうすぐごみの有料化が始まるだろう。
いろいろなサービスが打ち切られたり、経費としての削減がされている。
宇治川太閤堤跡公園の整備をされているが、
宇治上神社平等院世界遺産宇治川の景色があればそれで充分で
宇治市民としては、時間があればいつでも季節ごとにゆっくりといたい場所なのになあ。

そのゴミの有料化が始まったらとっても困る。
うちの中に入り切らないものを、敷地内の倉庫に詰め込んでいる私のものだけでもこの暑くもなく寒くもない季節に少々の力仕事もこなしていかなくては。
そろそろ、頃合いだ。
一つの大仕事は描いた絵の処分。
思い入れのあるもの、処分しきれないものもあるが、それらを残して。
主に処分したのは、100号以上のものばかりで行き先もなかった作品。
これもその一つ。
元夫とハイキングによく行った。
大文字山も幾度かのぼった。
そこでスケッチしたシダを基に作品にした。
とっても未来を明るく、輝かしく描いた絵だった。
観ることもなくパネルを裏向けにして小さなのこぎりで既定のサイズに切り刻んでいった絵もあるが、この絵は、最後、と立てかけて一枚写真に残した。
そして、これも、裏向けにして切った。
小さなのこぎりで。

父や母が、電動工具で簡単に切れるものをとちょっかいを出してくるが、
私は、自分の手を使ってこれらにさよならしたかった。
時間もかかる。
腕だって痛い。
だけど、これを描いていた時間や想いに向き合う作業として自力が必要だった。
小さく切り刻まれて、部分になってしまったそれらを見ても、
自分の描いたものに綺麗だなあと思ってきりりと痛む。
存在としてなくなっていくことに、慣れていかなくてはならない。

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