キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

極夜行

子供の送迎などで図書館や書店に行って時間つぶしする時間が少しはあるが、
本を読むという時間を捻出することが難しいので、読む本を選ぶことに慎重になる。
以前から好きな著者や新聞や雑誌の書評で気になる本を手に取ることが多い。

作家、探検家の角幡 唯介さんの「極夜行」を読んだ。
でも、すみません。
書籍出版業界には申し訳ないけれど、自宅の収納や特に手元に置いて何度も開きたいと思う本しか、今、購入しないという決意のもと図書館でリクエストして借りて読んだ。
いつまでに返却しなくちゃというほうが、忙しさに本を読むという時間をとることを後回しにしてしまうことをなくせるような気がする。
で、待ってましたと「極夜行」を読み始めた。

 

極夜行

極夜行

 

 


本の始まりは妻の分娩からだった。
私にとってはもう読み始めからして、雲行きが怪しい。
子宮口がなかなか開かなかった彼の妻は難産だった。
その開くまでのつらさを私は体験していない。
出産の幾日も前から開き始めていた。長女の時は早産気味で何とか37週まで・・と念じつつ、次女の時は子宮口全開なのになかなか陣痛がおこらなかったから。

著者はその時間を病室にただ居た。男とはそういうもので、何かができるとは思っていない。
立ち合いをした著者が風速30mもの暴風が病室に吹き荒れているという妻の出産の戦いを究極の自然体験型活動と呼び冒険の比ではないと。
著者が冒険という外側の自然を、一時体験している皮膚一枚で自然と接触しているだけ。
自然に対する畏怖、肉体的な限界や死を感じた瞬間、認識したと書いてきた観念的事柄一切合切を浅薄で独りよがりなもののように感じた。

と、読んでしまったら、女の妊娠出産という究極の自然体験をしたものとしては
じゃあ、もう、これ読まんでもいいかな。
みたいな、ちょっと肩透かしを食ったようにスッと遠のいてしまった。
また、元夫が長女の出産の立ち合いをした時のことが思い出されてなかなか読み進めることが出来なかった。
そしてまた、学生の時、物書きになりたかったという元夫が文章を書いたらこんな語り口ではないかという文体と所々のアカンタレさが似すぎてて余計に鼻について。

でも、まあ、読んでいて、あ~~~、とその感覚を想像したのは
「闇の中で感覚が奪われることで自分の身体感覚をおぼつかないものと認め、全否定しなければならない。」という、おのれの身体感覚のみを根拠にした推測、判断を過信しすぎている日常について考えて想像した。
と、「闇に対する恐怖は見えないことで己の存在する基盤が脅かされていることからの不安感から生じる。」
「人間の存在も時間と空間の中にしっかりとした基盤を持つことで安定する。
安定のために光が必要。
なぜなら、光があれば自己の実体を周囲の風景と照らし合わせて客観的な物体としてその空間の中に位置づけることが出来る。例えば周囲の山の様子が見えればあの山とこの山の中間に立っている今の自分の空間的位置づけを今ある実体として把握することが出来、今日はその間を流れる川に釣りに行こうと未来の自分の行動を組み立てることが出来る。具体的な未来予測が出来ればその予測している期間の自分を生きている実体と想像できるわけだから死の不安から解放される。」と、言うところ。

極夜に行かなくても、実生活で、いつでも、だれもが闇に迷い込むことはいくらでもある。
私も知っている。
自分の実体があるのかないのか、どこにいるのか、怖くて動けない、目があいてるのかあいてないのかもわからない。
光を待つか、光を探すか、光を作るか。

とにかく、3週間の返却期限をギリギリに冒険部分はサ~と読んだ。
いくつか、この著者のエライと思ったのは冒険をすべて自己資金ノースポンサーで行っているということと、
妻の出産の時、分娩台の股の向こう側でなく妻の傍らにいたということ。
私の場合、もう少し陣痛で苦しむ時間があるだろうと思っていたが、その出産に向かっている自分の状況に慣れて認識するより早く分娩台へ登ってしまったので、わけもわからず本番を迎えてしまった。
何度かのいきみの合間には医師とおしゃべりにはしゃぎ、
いきみの時には相撲の取り組みに声援を送るようなお祭り騒ぎで股の向こう側に陣取っていた元夫。
わけがわからないまま、夫の所在など気に留める間もないほどの初めての出産をした時のことを今でも思い出し、
妻ではなく、出てくる子への、または出てくる様子に気を取られて
妻が出産というものを命がけでしているその時を、
その時も、軽々しく、または、君なら大丈夫やろうと簡単に思われていたなあと今でも思う。

旅の終わり、
「この冒険が極夜という胎内から光を見るという己の誕生体験を追体験することだった。」
にいたるところは初めの出産場面の始まりから想像がついていた。
いや、きっと女だったらこの冒険の計画からして目的はそれだろう。
極夜のその時間、過程を体験したいというのだから、男は冒険家なんだろうなあ。

子らも苦しむ毎年夏休みの読書感想文。
これは私の読書感想文。お粗末様。