キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

揺れた朝

関西圏の朝
私たちの朝が揺れた。

次女は登校していた。
長女はゆっくり起きてきて身支度をしていたところで
小さな座卓の下に身を隠していた。
私はといえば、食器棚とテーブルに手をつき、体を支えているだけしかできなかった。
増改築を繰り返したこの家のこの場所はブロック作りで地震に弱い、
壁に取り付けてあるTVが揺れで角度が変わったとか、
次女はもう学校に着いただろうかとか、
貴重品の場所とか、携帯の充電が不十分だったとか、
頭の中では一瞬にいろんなことを考えてるのに体はただ立って、
揺れを両足の指で止めようかというように踏ん張って。

この日の半日以上、胃や胸がムカムカしていた。
仕事は半日自宅待機となった。
しばらく一週間ほど余震の様子をうかがいながら
少しずつ身支度を整えるように何が大事で必要かを生活の中から選んでいく。
いざが、いつか起こることを忘れていた。

主な仕事は徒歩圏内、または宇治市の中。
子らの近くにいる安心。
一つはそのために子らの近くで働いているのだと、改めて思う。
市内でも宇治川を渡って仕事に向かうときは、そのいざがおこったとき子の元に帰れないと、いつも不安になる。
川、海、水とは私の中ではそういうもの。
水は隔てるもの。
そこへ渡ること、行くこと、帰る事は決意があり、決心があった。
橋を渡る、船で渡る、飛行機で渡る。
走っては逃げれない。
距離というより、水が隔てている。