キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

つぶやきの大きさ

週に一回ヨガの時間。
そこで出会ったお仲間の一人に
2歳の女の子と、乳児の男の子を持つかわいらしいママがいる。
近くに住むお姑さんに子らを預けて一人の時間を楽しみに来ている。
それが、えらいなあと思っている。ママも、お姑さんも。

ヨガの後のお茶の時間、彼女が子育て期のしんどさをつぶやいた。
そう、つぶやけた事もえらいなあ。

ヨガの先生も、ここへきている皆が子育て経験者や子育て中。
皆で、こんなことあんなこともあった、こんなこともしんどいなあ、と。
彼女の今におこっているであろうことに寄り添う。
彼女の住んでいる近くは六地蔵駅の近くで、
地域子育て支援センターもすぐ近くだけれどそこへ行くことも、
一歩も家を出ることもできないほどの日もあると。
「ちょっとでも話をできる友達がいたら心晴れるよ。」
と、その時、言ってみたものの帰ってから自分の言葉に違和感を感じていた。

私自身、その友たちに何度助けられたかわからないほどだけれど
そうそうその友たちとタイミングが合うものでもないし
気が晴れるだけで、満たされはしないからだった。

子との時間と家にどんどん小さくなっていって、今日は家にいない日にしようと
強い意志で朝が始まらないと毎日が小さく小さく時間を使い切るだけだった。

友という違う場所、時間を生きている人でなくて、
私と言う人と一緒に生きている人が私と、子をちゃんと見て、
話して、聞いてくれるはずの人、家にいるでしょ。
友じゃなくて、今、必要なのはその人だよ。(だったよ。)
って、今度会ったら、言おう。
言葉にする前から泣いてしまいそうやけど。言おう。