キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

ピアノがある生活

今年のクリスマス、子らはジイジとバアバから電子ピアノをもらった。
おもちゃの範囲の値段だが、十分な機能だ。
次女は幼稚園の鼓笛隊のシンセサイザーを担当し、うちでも鍵盤ハーモニカや、おもちゃのピアノで練習にいそしんでいる。が、鍵盤が足りなかった。
それを見かねてか、楽しそうな姿がほほえましかったのか。
長女も、以前はピアノを習っていた。
「ピアノ習いたい?」
と2人に聞いても、毎日の自主練習が嫌だからと習いたがらない。

クリスマスの朝、枕もとのささやかなサンタのプレゼントに気づいた寝ぼけ声が
ピアノの存在で、はじかれた歓喜の叫び声になった。
あれから幾日がたつが、二人とも暇さえあれば鍵盤の前で気に入った曲のメロディをきかせてくれている。
長女は、以前使っていたピアノの教本を持ってきて思い出そうと懐かしい練習曲を繰り返している。
やはり、少しでも習って弾けるというのは聴いていても違う指使いだなあと思う。

ずいぶん前になるが、孫の三人兄弟がピアノを習っているという女性と話していた時、
その方の時代はお琴を習うのが流行りだったが、ご自分はどんな家、環境に嫁ぐかもわからないので場所にも保管にも困らないように、何時でも楽しみ慰めにもなっるように
唄いをしていたと。
その女性は、病院の院長夫人としてあられるらしいが。


楽器は保管も手入れも、場所も必要だ。
私の吹奏楽をしていた時の金管楽器のホルンもケースに入れたまま高校の卒業以来から出したことがないので悲惨なことになっている。
今年の大掃除では、私たちの寝室の床の間に立てかけられていた母の琴を移動した。
実際、母の琴も、結婚以来ほぼ一度も鳴らされたことはない。
が、‘‘捨”されることはない。
また大事に、専用のカバーにしまわれて母の和ダンスの上に寝かされた。

子らの習い事は、水泳や空手など身を守るものしかやらせていない。
何をやらすか、子らが何を求めるか探し話し合ったらそれらが残ったからだった。
耳で聴いて、目で観て、鼻で嗅いで、美味しいものを食べて、体で体験して、触れて楽しんみ、なぐさめになる五感を使って敏感に感じることが日常にいつもあればいいなあと思う。