キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

トンネルに気づくこと

NHKで「オイコノミヤ」と言う経済学の番組があるが、
いつも楽しみに観ている。

「忙しい人の経済学」の回は、とても「あ~、私のあの時のことだ。」と
すごく納得した。
トンネリングと言う状況。
これだ、と定めた事柄に一点集中して、他の選択肢を見えなく、または
邪魔なものとして軽んじたり、邪険にしたり、赤い旗を振りかざされた闘牛のように
その的だけに突進して、時間と体力の限界に追いつめられていた。
まっとうするために合理性のみに動かされ、優先性を選択するという認識余裕は全くなかった。
もちろん改善策や家庭の安らぎなどというものは、その場所、時間にはみじんもなく、
ただ内臓が解けるような疲労だけを横たわった瞬間に味わいながら眠る。
あ~、トンネルにいたんだ私。

あのトンネルが、生きているという実感を私に与えたという気もしないではない。
が、その時間を過ごした子たちの記憶がほとんどない。
何もしてあげなかった時間。ただ、一緒にいただけの見ていなかった時間。
やはり後悔のトンネル。
それが、子育てなんだといわれれば、やっぱりもったいない。
それを、当たり前にしてはいけない。


今の私はどうかと言われれば、
時間はあるが、まだあの時の後悔や失敗の傷を振り返っているし、
これからの不安や、新しいビジョンに向けて決めると言う作業のエネルギーに
多くを費やしたり、気持ちが揺れていると、今の時間や子らに心が向きにくい。
今もトンネリングの最中ということだ。
病理性としては低いが、記憶力、注意力、判断力がありたい私のものではないので
生産性はとても劣っている状況だ。

経済学は、人がどうしたら幸福になるか、豊かになるかを考え、
制度や社会を作る学問だという。おもしろい。
制度や、社会を作りたいという思いはないが、幸せになる方法をいくつも持っていたいなあと思う。
どんなふうになるのが幸せかをまずはっきり思い描いてのことだけど。
まずは、トンネルを抜けてみたい。
一人では抜けられないトンネルは時々伴走者の助けも、天の声も借りて行こう。