キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

7月の大事な言葉

家族や友人の誕生日月、
その人とのことがよく思い出されたり
どうしているかなと気になったりする。
そして同じように大事な人を亡くした月も。

7月は、私が高校1年の期末試験期間の真っ最中だった時
叔母が卵巣がんで亡くなった。
美空ひばりさんが亡くなってすぐだったと思う。

とても太った人で、歌がうまくて、
人を楽しくさせるのがうまくて、
ムチムチしたかわいい手で美味しそうに食べた。
和裁をやっていた。
奈良にアニメ映画を見に行ったとき、勤め先の洋服店に寄った。
カラオケの先生をしていた。
いつも、きれいにお化粧をしていた。

小学校を卒業した春休み、
うちに泊まりにおいでと呼んでくれた。
とてもおいしい牛肉を焼いてくれた。
奈良の三条通りを歩いて、その頃見かけ始めたバレッタ(髪留め)を買ってくれた。
小さな金色の値札に1600と書かれていたのも覚えてる。

家に帰って、あったことを母に話したら
「お金ないのにお肉やら、そんなん買うてもろて・・。無理して。」
と、言われた。

今ならわかる。伯母の気持ちも、母の言葉も。
その時の、私のいたたまれないような小さくなった気持ちも思い出す。

その伯母が、私に言った言葉。
「公衆便所みたいな女になったらあかん。
 なんぼホテルやらデパートの綺麗なトイレでも、だれでもはいれる公衆便所や。
 駅やら公園の便所といっしょや。」

中学生になって、部活やらで忙しくなって、
伯母の体調が悪くなっていったのもあって
たぶんこれを言われたのは、叔母の家に泊まったその時。
バブルの頃で、性産業も、性交渉も見境のないころだったのかもしれない。

私の中にある危うさや、不安定さをいさめてくれた言葉だった。

もうすこし大きくなった時の寂しさや、興味や欲求にブレーキをかけてくれていたのは伯母の目だ。
言葉以上に小学生を終えたばかりの私を見つめていった時の向き合った目。

人肌の感触や体温は高揚させ、そして安心するものだ。
ただ、それを一時のものとするか、長く重ねるものと見極められるかは
幼い時からの育ちや、環境によるものが大きいと思う。
寂しさや欲求がおさまらない時の失敗もあった。
だから、でも、どんな言い方にせよ、我娘らに悲しさと、不信のまなざしで人との関わりを遠ざけるような言葉は言いたくない。
自分自身も、相手も大事にできるような出会いをつなげていける努力ができますように。

伯母からもらったバレッタは、バネが弱くなりながらも5年ほど前まで使っていた。
つい、横になったときに下敷きにしてしまい壊れてしまったのだけど。
淡いパステルカラーで花の模様がかたどられたプラスチック製。
もう私にはあの言葉はいらないけれど、人に伝える、向き合う努力と、
今ある、ありたい私の姿でいたい。