キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

千切りの回想、妄想、母乳

もともと瞬発力のようなモノは持ちあわせにない。
とても気になることや、引っかかること、
グサリとえぐられたようなことを何度も何度も思い出して反芻して、
あぁ、なんとなくこんな言葉と感情で納得したと思う頃には
いつの話やねん・・とあきれるほどのこともある。

台所で一心にキャベツやダイコン、ニンジン、生姜、とにかく何でも
野菜を千切りにするのが好きでたまらない。
切れ味の良い包丁で、角がすぱりと気持ちよく同じ細さと長さに切りそろえた
様を見て、リズム良い音を聞きながら、心は回想や妄想の世界へ。
わざわざ、身体的に痛いことを想像するときもあれば、
以前見た討論番組のコメンテーターの言葉だったり、
高校の時の文化祭の準備をしていた場面だったり、
写生していた時の瞬時に線や色を選べていた体と精神だったり、
いつかの言葉や、時間に浸る。

先日知った、本当の母乳でもなく、衛生的にも問題のあるものが売買されていたという事件はかなりのショックだった。
母乳は体液だ。確かに、私の乳も美味しかった。が、他人の乳を飲む、飲ませるという発想はなかったのでまずショックだった。
と、同時に追い詰められた感を目一杯感じる。
ただ、それを買った母は、50ml5000円もするそれを3つ買い、ふたつはそれぞれ別々の検査機関に成分や安全性の検査を依頼したらしい。すがる気持ちの中にも、冷静な理性ある行動に感心した。
そして、自分の、世の母たちの母乳育児のつらさは何が原因なのかを思う。
乳の足りなさに泣き止まない長女の泣き声から逃げて布団をかぶり、
布団の中で唸るような、奇声のような自分の泣き声で遮りながら夜をやり過ごした。
ミルクのメーカーを何缶も変え、哺乳瓶の乳首を何種類も試させ、
ただ泣き止ますために出もしない乳をくわえさせ抱いて
二人してカスカスに干乾びたようにして過ごした授乳期だった。
たった一人と言う孤独と責任。不安とイライラ。子育て以外の心配や忙しさ。
労りやねぎらい、安心できる言葉や時間、場所が父となった人とともにあればよかったのにと私の場合は思う。
お産や、妊娠期に、またはそれ以前の育ちに問題を抱えていて身体的にも精神的にも乳が出にくい人もいる。
生活基盤となる経済的問題や、住環境、生活習慣に乳のでにくさの原因があるかもしれない。
体調や、精神状態の相談や、リラックスの上手下手もあるだろう。
子の機嫌も、体調も体質も左右するだろう。
今となっては私のその時期を思い出しながら下手だった何もかもを精一杯やってたよとなぐさめるしかない。

切りすぎた野菜をかき揚げにして、黙々と天ぷらを上げながら回想の中のあの時の私もふくめて母乳で育てる母たちを思った。
抱きたいからだく、乳をあげたいから抱く、一緒にいたいから話しかける、歌ってあげる、触れてあげる。
思い出すわが子らは、本当にかわいかったんだなあともったいない育児をしてきたなあ、もっと大事に育てる時間や住環境を得る努力をすればよかったと後悔ばかり。
そして、お世話も悩みも分け合えれば半分になったのにな。