キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

家事はいやですか?

毎日いろんなことを知る。
新聞や書籍や報道で知ることもあれば、
人と出会って話すことで知ることも、どこかへ行ってめぐりあうこともある。
で、その中で驚きや疑問、感動や納得が起こるのだけど
それを理解整理して書き残しておくこと、人に伝えることは
また別の次元にあって難しい。
一週間や2週間、一か月、半年、一年、もっとかかってもぼんやりしていることだってある。

これもぼんやりしているのだけど、
10日ほど前に新聞で読んだ記事。

家庭で「お手伝いさん」として炊事や掃除を行う家事労働者を海外から受け入れられるようにする「国家戦略特区法改正案」が審議中。
就労意欲がある女性の家事負担を減らして社会進出を後押しする考えだ。
国は、従来、外国人を劣悪な労働環境に固定しないため「単純労働者を受け入れない」との建前から、家事労働者の残留資格を認めてこなかった。

まだまだ家事代行サービスは富裕層や共働き家庭など一部の利用しかないが、
利用しない理由として価格が高い、他人を家庭に入れ家事を任せることに抵抗がある、不要という回答。
海外からの渡航費や研修費、言葉の誤解トラブル、雇用要件、権利保障、人権侵害など透明性をもって仕組みを作らなくてはいけない。

            「毎日新聞」の2015年6月21日クローズアップから

家事は、創造性のいらない単純作業だろうか?劣悪な労働環境なのか?
家事は、女性向きの軽くてきれいな仕事だろうか?
家事は、産業化が進めば家庭内から消える存在だろうか?
家事は、誰もができる代わりのあるものだろうか?

洗濯、掃除一つとってもそれぞれの家にやり方や、基準があり、
道具の選び方、使い方、手入れの仕方もある。
目の前にあることをこなしていく家事の作業だけれど
その目の前のことが目に見えるか見えないかは各個人の意識や育った環境が大きいと思う。

家事労働は、幼い子を育て、学校や職場へ英気を養って出かけていく基盤で、
病や、高齢な家族の生活を支える重要な仕事だ。
自分や家族が気持ちよく生活するための住環境を守るために
日々のそれを行う一つ一つの作業を私は愛おしく感じる。
誰にもそれを奪われたくはない。

働く女性は何を選ぶかとなったとき、家事をする時間より、
自身の休息や家族との時間、よりもっと仕事をするための時間を選ぶかもしれない。
でも、日本の小住宅の掃除、核家族の洗濯などは家族の構成員たちの協力でどうにかならないものなのか。
また、どうにもならないというならば、やはり日本の労働環境や、賃金システム、
保障やサポートがおかしいのだと思う。
対等な夫婦ならばお互いが主婦であり主夫なのだから、
たかがゴミ捨て、風呂掃除ごとき協力やお手伝いのレベルで感謝とおだてが必要など
とは思わない。お互いが目の前にあることにそれぞれが気づいてするだけだ。
一人で住んでいれば一人分、4人で住んでれば4人分の家事が目の前にある。
それぞれが目に見える家事をやり遂げた時、平和な休息の時間はある。
そしてお互いに感謝しあえる。
家事は、目の前にある生活をより良く快適に円滑に過ごすための家族の作業。
その一つ一つが束になって合わさったときの重労働をわかってほしい。
またそれを一つ一つ片づけていく心地よさと家族や家に対する愛着と愛情が
もっと意識されればいいなあと思う。

サポートや家事代行が必要な時、相談できる、依頼できる事業として不安のない
お互いにとって利益のある正しい基準があることを願う。
そして、家事労働として従事してもらうとき、
その愛しい作業に対する感謝を込めて賃金を安くしすぎないでほしい。

家事と言う労働が、安い価値のなかったものに思えてしまうから。
雇う側と、従事する側との良い出会いがあればと願う。