キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

幸せの握力

私の指先はいつも力が入っていないし、力がない、足りない。と思うし、よく言われる。
物はよく落とすし、缶のプルトップはあけれないし、
ビンの蓋も苦手、詰め替え用の手で開けられますと書かれた開け口も
3回に一回ははさみが必要だ。
高校生の時に測定したのが最後だが、握力は16キロとかじゃなかったかな。
そんなんで施術の時に圧はちゃんと足りているの?って
心配されそうだけど弱い、足りてないとのお声はいただいていないので
相応に重心移動や体の使い方でそれは補われているのだと思う。
それなりに握力も成長していると思う。たぶん。
握力は年をとってもあまり下がらないらしい。

実際にはそんなシチュエーションはないことを願うが時々夢にみる。
タイタニック号沈没シーンやダイ・ハード(古いね・・)さながらの
アクションシーンにありそうな高いところからの
手と手だけでつながった落下寸前の場面。

シーン1   上で落とすまじと引っ張り上げようとしている私と、
       落とさないで離さないでと必死にすがって、ゆるい私の手を信用
       していない悲壮な長女の顔と落下。


シーン2   上で落とすまじと引っ張り上げようとしている私と、
       絶対離さない、絶対登る!と自力で上がろうとする次女。

シーン3   上で手をつかもうとしてくれていた手をつかんだかどうかも
       わからないうちにするりと抜けて落ちてゆく私。

スポーツができる、うまい、かっこいいというのには興味がないのだけれど、
自分の体が自分の思った通りに動かせる、良いパフォーマンスができるよう
維持できる、姿勢や呼吸、バランスを保てるということは
体をコントロールするのと同じように、心や行動にもできると思っている。

跳び箱も、マット運動も、鉄棒も、走ることも、球技も、ダンスも
できるようになるとも、できるようになりたいとも、できなくちゃもなく
できないまま大人になった。できなくて困ることも今ないが、
できている私をイメージすることもなく努力しなかった私を後悔している。

長女は、真面目に、できる自分になるために努力する。
イヤイヤ通っている空手も、最近少し様になってきた。
どうか、体の使い方、重心の移動と保つ力、指先までの所作のこめ方を
呼吸、間の取り方を身に付けてほしい。きっと、あなたを助ける。

次女は、ただ楽しくてできるようになっている自分を見たい、見せたい。
今は、自分の体がこの世で、どんなことができるのか試してほしい。
こけても、すりむいても、豆がつぶれても。

雲梯で一手一手進むように、その掴んだものを離さないで。

幸運、チャンス、幸せを放さない握力は鍛えられてこそ。

 


体と心はつながっている。連動している。
常々感じていること。
レモンや梅干を思いうかべた時に唾がわく、
精神的なストレスが身体に頭痛や腹痛を起こすといったこととは別に、
もう少し日常的で全体的な感覚として。

姿勢、身体能力の高さや体のコントロールができることが
実際の行動や、心の状態の維持、コントロール、思考の方向性、時々の選択、
人生そのものを左右させていると。

私も鍛えなくちゃならない。
ヨガは続けたい。
もう少し真剣に、ハードに、深く。
ゆる~い、ふんわりした手。
いろんな物は逃してはいるけれど、気に入っている。
化粧水をつけて私の顔を包むときも、
誰かの肌に吸い付くように施術しているときも、
子たちの髪をなでるときも幸せ。