キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

彼は猟師になった

ずいぶん前の深夜、
ただだらだらと起きて自分一人の時間を無駄使いしていた。
その深夜のNHKの「獣道」というTV番組で彼に再会した。
過去に一瞬すれ違うほどに出会った。
ずっと猟師を続けていること、ある大学で講義をしてるとか、
母校で商品化されたカレーがあるとか、
そういう風の便りで彼の道に彼がいることがまぶしかった。
また今日、彼のドキュメンタリー映画が公開されることを知ってうれしかった。

「僕は猟師になった」
28日から京都出町座などで公開

もうあまり行きたくない街だけど、
彼に会ったころの私を思い出したくないけれど、
彼に会いたいに行きたいと思った。

薄れては戻ってくる悲しい

もうすぐ彼の訃報を知って一か月になろうとしているなんて信じられないが、
彼に毎週会えた番組がとても好きだった。
録画したその番組がまだ見れない。
その番組内で特集されている内容も、美しい風景も、
世界の素晴らしさも目に入らないことが想像できるから。
きっと彼のことばかり見てしまう。彼のことばかり考えてしまう。
そう思うと、まだ見れないかもしれない。

彼の̪死がまだ現実に思えないふわふわした心地だった時、
洗濯籠に手を入れた瞬間ムカデに薬指の先をかまれた。
その痛みを感じながら、体中に熱を感じ、胸が締め付けられるような苦しさと動悸に不安になりながらも、彼はもうこんな痛みも感じなることもない。
肉体を、魂の入れ物を壊して逝ったのだなと考えてりして
もうムカデと聞いたり見たりしたら彼もセットで思い出すだろうとさえ思う。

小さなかわいい少年だったころから、青年になり、大人の男の人になっていくのを
とても透きとおったものを見ているように見ていたら本当にそうなってしまった。
ただの一視聴者でさえ、やっぱりまだまだ悲しい。
薄れていっているのだけれど、時々不意に思い出してぶり返して悲しい。
そういうものだと知ってるのだけど悲しい。

退屈という平和のなかで

コロナ禍という真っただ中にいる世界中の
子の夏休みの私たちの生活は退屈という平和の中にある。

学校や、塾や、仕事から帰ったら皆、すぐに着替えるかまたは入浴する。
手洗い、消毒は当然で人の分布、密度を測って行動する。
押しボタンはもう指で押すことはなくなって、ノックするように押す。
商品を選ぶ時もあれやこれやと手に取ることもなく目視でさっとキャッチ。
買うものはあらかじめ決めていくこと、遠出をせずマイクロツーリズムはお財布事情ゆえにコロナと関係なく普段通り。
人の前でノーマスクでいることはなくなって、マスクを取るのが恥ずかしいが
アイメイクは必ずするようになっている。
コロナが落ち着いたら新しいスニーカーで出かけようと思っていたのがまだおろしていない。
まだ、誰かの肌に触れるという仕事の再開の決心がつかない。

そうこう言っている間に、庭のテッポウユリが咲いた。
今年は写生すると決めていた。
まずは、写生して元気を取り戻そう。
今、コロナ禍においてこの退屈なほどの毎日がありがたいと思うばかりだけれど、
やっぱり本当の平和は、どこへでも行くことができて、人と出会うことを楽しんだり、触れることができる世界。

台所に立つこと

台所に立つことは好きだ。
野菜を切る、千切りなんかとっても好きだ。
パンを焼くことが好きだ。その発酵時間、決められた限られた時間で何かをすることも好き。
ケーキを焼くのも同じくらい好き。
パンにはベーカーズパーセンテージというものがあって、分量を正確に量って化学を起こしている。料理ってそんなものなんだなと思っている。
量るということをとても頼りにしていていつも必ず同じ味に、何度も専門のプロが試して誰でもおいしくできるよと分量を提示してくれているのをありがたく思っている。

味なんか二の次で、とにかくこの時間に食べさせなきゃ、この時間に完成していなきゃという夕食の時間に追い立てられ、何でもかんでもぶっこんでやけくそで作っていたころもあった。
味覚を感じないということに気づいていない時期もあった。
お前の料理にはがっかりや。と父から言われた言葉もとどめを刺した。

基本うちでは料理をしない。特に父や母に食べさせるものは。

量って作れるものだけ。
毎日朝ご飯を作って、お弁当を作って、子供たちに作ることで練習させてもらっている感じ。
もうちょっと上達して。と言われながら。

夕食を作るとき母のアシスタントに台所に入るが、
私と夕方台所に入るとせかされる空気をとてつもなく出しているそうで、
気ぜわしくていややといわれる。

確かに遅すぎる時間だというのもあるが、
夕方、黄昏、子どもの泣く声、立て続けになる電話、山積みの仕事、
あの頃の追い立てられる気持ちにどうしてもなってしまうのだな。
早く早く早く早く、早く早く早く早く、早く早く早く、早く早く早く、って。

いつか一人で暮らして、
すきに台所に立って、
夕食何を食べるか時々想像する。
案外、ちゃんとしたものを食べたいと思っていないことにも気づいたりする。
とっても粗食で、またはコールドディッシュ、またはお惣菜主義。
絶対欲しい、ご飯とみそ汁漬物。

絶対、バタバタ頑張らないと決めている。
完全にたんぱく質不足、栄養不足かも・・
いやいや、それより朝ご飯と昼食は、作るの全然苦じゃないからそれでいいかもしれんやん。

台所の主導権

日暮れの時間が遅くなって、
我が家の夕飯の時間はますます遅くなっている。
理由はそれだけじゃないが。

もともと母の夕飯の準備にかかる時間が遅い。
メニューを決めるのも買い物に行くのも遅い。
子供のころから遅かった。
父の帰りが遅かったからか、父の帰りを待って食事の時間だった。
今、家の中の家事と名の付くもの掃除機や浴室なども掃除全般、台所の片付けなど家の中のことは私がしている。
母は、洗濯と畑や花壇敷地内の管理など外回りが担当。
そして、朝食、昼食は私、母は夕飯の準備。
私は遅番で7時過ぎに帰宅したとすれば、台所へ入るとシンクに広がった子らの水筒弁当箱、昼食の皿たち、調理道具などいっぱいを片付けながら子らにテーブルの準備や盛り付けなどを声だけで指示を飛ばして、ようやっと食事の時間。

誰も母と台所に立ちたくないのだ。
いつも丁寧においしい食事を作ってくれるけれど、
一緒に作るのは楽しくない。
一緒に作りたくない。
母の正解は一つだけで、
手伝いなどできないのだ。
教えるのが下手なのだ。

任されるのは野菜を洗ったり、野菜を切ったり、単純作業と出来上がったものの盛り付け。
年を取ったのだろう。
動作の遅くなっているのもあるし、もう作りたくないと思いかけてもいるだろう。
だけど、私や妹が作るやり方を認めてはいないし、台所の使い方も文句があるらしい。
上手に手伝いながら、現状維持、改善をしていかないといけない。
私の子らも、私が使える台所の時間に軽食程度が作れるようになればそれでいいかな。
あとは食べた口と、目が覚えてくれてればきっと自分で作りたいと思ったとき、作らなければならないとき再現、またはいろいろな情報に助けられながらアレンジし作るだろう。