ラクダのポーズ
とぎれとぎれではあるがヨガの教室に通って、
毎日のヨガ時間10分を日々の時間に取り入れて長い。
10分をただ一つのポーズに集中したり、一連の動きを悩まずに済むよう体が覚えたものでないと
ただのストレッチのようになってしまう。
まだ無心に過ごさせてくれる声の誘導が私には必要なのだ。
この数か月の時間、筋肉量を落とさないことと、体幹を自覚できるよう体のコントロールができること、肩甲骨がくっきり姿を現せる背中になることに意識を傾けたトレーニングをしようと目標を立てた。
が、やっぱりコロナ太り。
時間ができたことで、パンもしょっちゅう焼いた。
一緒におやつも作った。
食事の品もちょっと頑張った。
お茶する時間が増えた。
毎日の緊張感も和らいだ。
でも、ヨガ時間の習慣は破らなかったし、子供が外遊びする時間はスクワットをしたり主に下半身の筋トレはした。
で、ある日食べすぎか胃腸の調子が悪いとなって
そうそう、ラクダのポーズでもしてみようと
ちょっとしんどいポーズだから徐々に徐々にと
3日かけて両ひざをつき少しずつ体をそらして右手で右かかとをつかむ、
また次の日は体をそらしながら左手で左かかとをつかむを
ほんとに日に何度かその引っ張った筋肉を緩めながら徐々に徐々にそのポーズを目指した。
以前も気に入ってしていたポーズだからそう無理はしていないと思っていた。
3日たって気持ちいいと思える形になってきていた。
でも、そのあたりから筋肉痛のような腰の痛みが出だして左足を挙げて片足で靴下がはけないほど痛い左の腰。
もう何日もなるけれど腰が痛い。
腰痛なんて妊娠中くらいしかなったことなかったのに。
今は静養。
ラクダのポーズが原因ではないと思っている。
あんなに徐々に徐々にラクダになったのに。
もう少し準備中
厚生労働省の職業情報サイトにアロマセラピストというその他サービスの職業として紹介され、
確定申告の職業欄になんて書けばいいか悩まずに済むようになった。
それまではサービス業とか接客業とか適当に書いていた。
休養の質を高め、健康づくりを助ける
美と健康の維持、増進が目的
と書かれていたりする。
3月以降、その職業としての活動を停止している。
学びや試行、研究の時間は途絶えてはいない。
けれど、人に触れないという気持ちの張り詰めがない状態にほっとする自分にそれまでの日々の緊張を自覚した。
そして、訪問という方法でトリートメントを行うことに
私がいま世界中を悩ませる感染症を媒介する者になることをまだ恐ろしく思い再開を躊躇している。
いくつも、幾パターンもシュミレーションした。
いろいろなガイドラインを参考にして、私のルールも決めていっている。
あとは、一人一人に対して私がとる方法と症状や状況の重要性を量りながら縁を結んでいくだけだ。
私の手も、もうとても頼りない。
手入れだけは怠っていない手。
誰かのためにある手。
インスタというポジ
最近インスタグラムを始めた。
スマホに変えたことも理由にはある。
一人の時間ができたこともある。
家に居たことは大きい。
写真を撮ることを積極的にしようと思っていた。
何でもやってみなくちゃわからないという突発的飛び込み。
まずインストールの後の設定に悩んだりした。
写真を撮るという習慣がなかったので、その行為に羞恥した。
思った以上に、きれいに撮れるのでびっくりしたのと恥ずかしさと、違和感を感じた。
撮った写真をいろいろに見せ方を変えて、もっときれいになりすぎることに困った。
キャプションの文字はできるだけ短くしようと思った。
いまだにタグのつけ方がわからずにないまま。
インスタはネガポジのポジ、陰と陽の陽。
そしてここ、ブログはどちらかというとネガ、陰。
インスタにのせた数だけポジがありネガがある。
ポジを残しておけば、私にとってのネガは見えなくても残る。
ややこしい人だ、私という人。
爪
もう子供たちは私に爪を切らせない。
私の指は太くて短くて指先に向かってすぼまっていって、丸い爪がついている。
自分では気に入っている。
子らは私と同じ爪の形にされることを恐れていて嫌ってもいるんだろう。
彼女らは細い指、四角い大きな爪が美しいと思っている。
ちょっと反り気味の指先の、私からみたらおすましした意地悪そうな指先。
一緒にお台所仕事をしようとしてもその爪が目に付いて仕方がない。
ピンクの爪から先の白い面積が。
「爪切ってきて。」
その言葉に台所に立ち入らなくなる。
米を洗っておいてほしい時も躊躇する。
爪という皮膚の一部。
タンパク質。
指先にしっかりとした力を籠めるための鎧。
所作を美しく見せる神経の先端、美意識としての爪先。
米を洗い、パンをこね、野菜を刻み、人の肌に触れる私の手。
私の爪は短くていい。丸くていい。
かわいい手だ。
きっと、彼女たちの手も働く手になっていくにつれ変化していくのだろう。
今はまだ何も持っていない手。
黛を濃うせよ
黛を濃うせよ草は芳しき 松根東洋城
購読している毎日新聞の季語刻々という俳句の欄にあった。
眉を濃く書きなさい。
若草のこの季節、濃い眉のあなたはまさに若草のような美しさ。という句だそう。
素敵な句だなあと思った。
太眉が流行りだそうだ。今もかはわからないが。
眉の下弦をしっかり太目に描くと若々しく見えるとか。
今はマスクをして出かけることが常なので、メイクというほどはしないが
眉はしっかり太くやわらかに、軽くマスカラをすれば眼力はとっても強くチャーミングなマスク美人になる。
「出かけなくても、眉は毎日描こう」が日課。
不思議と眉をちゃんと描くと元気になる。
眉間のあたりには第3の目があると信じている。
眉はその目を支えているのだろう。
今日も黛濃く描いている。
こうしてまた、日々の心のつらつらとした言葉も残そうとしている。
大丈夫、大丈夫。