キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

魂の友

今日、懐かしい人を見かけた。
つい何日か彼女のことを考えていたから、驚いた。
彼女も私に気がついていたかもしれないが、彼女も私に声をかけなかった。
私も声をかけなかった。
彼女と話すほど元気にもなっていないし、きっと私はあの頃のままだということを見抜かれてしまうからだと思う。

彼女と初めて会ったのは学生になりたての頃だったと思うが、
彼女とは心というよりも魂というのがぴったりくるだろうか、その傷がぴたりと合わさるような感覚がして、彼女に会うと泣きたくなくても涙がどんどん出てくる。
彼女とは、痛みの話を良くした。
魂の。

そして、長く会わなかったが別居して実家に帰って来てから偶然出会って、
何度か会った。
が、その私と年の離れたどう説明してよいわからない彼女と会うことを
私の家族は良く思わなかった。
また、小さかった次女を置いて彼女と会う時間をつくることは難しかった。
彼女と会い続けて、いっぱい泣いて、魂が望み導くように私の心と体が動いたら今とは別の私の居場所があったかもしれない。
だけど、そうはならなかった。
彼女とは会わなくなった。
もし、彼女がただの友人であったなら小さな時間でも会い、電話ででも彼女と話すことを続けただろう。
彼女は、ある宗教の幹部だった。
宗教というものに特別な感情や偏見は持っていないつもりだが、何とか集会とか、
勉強会とかの誘いを拒否した。
とにかく誰かと何かとツルむのが私は嫌いなのだ。
彼女とただの友人として、それ以上の魂の共鳴者として会い続けて助けてと言えてたらよかった。
今、体と心が言うことを聞いてくれない私の魂は輝きはしない。
でも、魂を解放してやるためには、体と心のあるこの場所この時はここであってはならなかった。
相当の痛みをもって体と心を壊して出て行かなくてはならない。
そうはしないけれど。
魂がこの体を捨てて出ていく時が待ち遠しい。
彼女は魂と常に心が対話しあっている。
彼女の魂はその体の住み心地もよさそうだ。
これを書きながら今、私の心は重い。