キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

日本中のどこでも

連日、西日本豪雨の捜索、復旧の映像が流れている。
ゴミと呼ばれてしまうものになってしまった生活の道具、家財、形作っていた物すべてが泥にまみれて道端や仮置き場に積まれている。
一緒に生きていた人が、泥の中にうずもれているのであろうが、
それを探しながらも見つけられずにいること、ほんとはどこかで生きていることを
祈りながら泥をかく気持ちを想像する。

私はそんなに友達が多い方じゃない。
だけど、都道府県、日本のどこの地名を聞いた時でも、
誰かを思い浮かべる。
かつて、元夫の仕事を手伝っていた時、日本中からお客さんを迎えていた。
私の役割は表立ったことではなかった。
彼が言うように、私じゃなくてもできる役割であり仕事だったのだろう。

「君のお客さんじゃない。僕のお客さんや。」

私と彼と、私自身の体も心も切り裂いた決定的な言葉だったが、
もうその役割を離れて何年も経つが、
その当時の私を幸せにして、毎日同じことを工夫しながらも続けられたのは
私にとっても私のお客さんだ、今日も喜んでもらえたという気持ちだった。
そうして、今でも、「君のお客さんじゃない」と言う言葉に切り付けられながらも、
その当時のお客さんはやっぱり私のお客さんであったと思っている。
だから、もう、名前も、顔も覚えていなくったって、
その街からもきっとお客さんだった人がいらしていたであろうと、
誰っていう特定はしてなくても、きっと私のお客さんがいたはずと、
ほんの少しではあるが、せっせと義援金募金をしている。
日本中のどこであっても、今、私ができることはこれだけだ。

こうして災害が起こったとき顔や声が浮かんで安否が気になる人もある。
彼ら自身が被災していなくても、
近くや、知人友人たちとの復旧に奔走しているであろう人を思い浮かべる。

被災した方々が、とりあえずでも自分の居場所や生活、日常を見つけるまでに
何年もかかるのであろうと想像しながら、
私に何かができる私になれるか。
そばにいて、泣きたいときは一緒に泣いてリアルなおたがいを感じあって、
自分がここにいる、相手があることに気づきあうこと。
私が、引きちぎられた体と心を引きずって避難し続けた間に必要だったこと。