キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

白飯と切り干し大根

「仕事して家に帰ったら、白飯と切り干し大根のたいたんだけでした。」

そう、一歳そこそこの子がいる男性が言った。
その言葉の中の不満に、ざわッとした。

その妻のことを想像した。
冷蔵庫の中はほかに食材はなかったのだろうか。
子がぐずって、作れなかったのだろうか。
食材も買いに行けないくらい一歩も外へ出れないくらい心も体もしんどいのだろうか。
食材もある、または買いには行ったが献立が決められずに作れなかったのだろうか。
食欲がわかず、作ることができなかったのだろうか。
何か、他にも、考えられる理由はないか・・・

その男性には「そうだね、具だくさんの味噌汁や納豆くらいあったらよかったね。」と言った。

でも、想像したその妻の状況は、いつかの私だ。
そして、どの状況も子の世話以外に、愛情や手間や気持ちも、体力も時間も注げるだけのものが全く残っていないという燃料切れだった。
その燃料となるものはどこから補充されるか。
自分自身で回復できればいいが、休息や、自分の時間、子育ての中の余裕、楽しみ、そしてコミュニティからのサポートや、何より夫からの気づかいや愛情によって、また頑張れる燃料となる。
母は強し、というけれど、
母になったばかりの女は、ニンゲンとしては一番弱い時期かもしれない。
産めるが、育てることは一人でできない。
助けがいる。
私は続けて、言った。

「私がその頃一番してほしかったのは、茶碗を洗うことでも、洗濯を干すことでもなく、
ただ、抱きしめてほしかっただけです。
笑わせてほしかっただけです。
ぐずって寝ない子と、3人で一緒に添い寝してほしかっただけです。
きっと、そうしてくれたなら、次の日はもう一品二品、あなたに並べることができます。」

そう、一生懸命に話した。恥ずかしいことに涙も浮かんでたかもしれない、涙声にもなっていたかもしれない。
私がしてほしかったことは、彼女がしてほしいこととは違うかもしれないからどうかわからないが、少しずつ誰かにいつかの私の気持ちを話す。

今、京都府の事業で産前産後ケア専門員の講座が開かれていてその講座を手伝っている。
私は産前産後訪問支援員の資格をこの事業で勉強した。
この産後の、母になったばかりの頃の子育てのつまずきや夫婦としてのつまずきが、
私の家庭を壊したからだと思ったから。
この、失敗ばかりの私に子育て家庭のサポートが直接できるのかどうかはわからない。
だけど、私のつまずきを傷として残したくない。
少しずつでも、その傷を優しくなでて磨いていきたい。

この講座を手伝いながら、また、いつかの私を思い出し、
何がしんどかったのか、どういうサポートや助けが必要だったのか思い出す。
そして考える。今の私だったら、どうするか、何ができるか。
そして、同じようにしんどい思いをしている母を目の前にした時の自分が、
どれほどの揺れ幅で振り切れるほど揺れるかもしれないが、
そうやって、揺れるほどにそれを収めていきながら寄り添っていけたらいいなあと
思っている。