キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

台風に願う

離婚家庭の面会交流というものに毎回、うちの場合は年に3回くらいのシーズン
頭も、心も悩ませる。
まず、この面会交流という呼び方もしっくりこない。
私にとっては前夫(何度も結婚することはないだろうが全部ひっくるめて元夫)は、子らにとって元父とはならない。
戸籍も抜いたし、再婚して新しい子も産まれているし、書類上は元父といっていいと思うが、これからも、変わらぬ愛情と、いくばくかの継続したアレ¥もつながり続けなばならないのだから。

なかなか、裁判所などのお役所でマニュアルのような規定の中で決められたように会うというのも、おかしな話だなあとは思うが、毎度毎度の面会のためにモヤモヤ、イライラするのはこれからも耐えられないというのは正直な話だから、私たちもそうすべきだったかもしれない。
何がそうさせるのかと考えると、同居の実家家族の感情の板挟みとか、
別居、離婚に至るまでのこまごまが解決消化納得がされていないということとか、
面会場所や、面会時間、面会のための宿泊とかスケジュールやらこまごまの相談がされない事やそういったこともある。
が、子らと私が、元夫が欠けた家族のカタチを、欠けた部分を見ないように、
または一生懸命膨らませてまあるくしようとしているところに、
一日や、一泊、または毎週のように親戚のおじさんのように楽しいこと非日常を
持ってくることに拒絶感と、痛みを感じるのはいけない事か。
新たな家族を持ったのに、前の子らに会いに来るというのは新しい家族といても
欠けているものをいつも感じているということか。

いずれにしても、私が面会交流の場に、その中に入るということは元夫への恐怖や悲しみの感情しかわかないが、
私抜きで、子らと元夫が会うという家族ごっこのようなモノが、失われた家族の痛みや苦しさの大元なのだろうな。どうやっても、この状況は変わらず、苦しむべき罰なのだろうなあ。
そして、いつか、子らが元夫の新しい家族と会うなんてこともあるのだろう。
君たちの弟だよと新しい子を紹介して仲良くあやしたり、遊んだりするのだろうか。
あ~・・・壊れそうだ。こんな時は、いつも死にたいと思う。

元夫や、子らは3人で会うとき、会っているとき、会い終わったときどんな気持ちなのだろう。
私は、一人になるその時、体に全く力が入らない。
何もかもふわふわして、何も考えない、何も考えられない。
子らを送り出す時は、突き放すように、断ち切るように、解けていくように心細くなる。
迎える時は、楽しかった~と話す子らの話すことを興味ないよ~と聞き流すように、
感情をOFFにしてただ聞いてやる。その時間の中に私がいないこと、これからもいない事、どうしてもう家族として私たちが存在しないのか、真っ黒な海にのまれてしまった溺れた私を、子らが話す間中、または、いつまでも見続ける。

次の面会交流も、台風でも来て飛行機飛ばなかったらいいのになあと強く強く願っている。