キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

サヨナラの返事

ひと月ほど前、いつかの友たちにもう、またねという会う約束のない別れの手紙を送った。
そして、その彼女たちの一人から返事が来た。
水面に今朝咲いて落ちたばかりの軽やかにただ浮かんでいるだけのような、どこかに旅立っていくような、自分がどんなに綺麗か知らずに、ふわふわ浮いて、もう自分で自分がうつっている水面を見れない花の絵葉書。
その花の香りを、まだ覚えているし、忘れることはない。

とても淋しい手紙で、一時代終わった感じがした。

と、書かれていた。
私は、彼女に、私の手紙の意味と、サヨナラがとても伝わったという満足感というのか
喜びを感じた。
一時代というのは大げさにも思えたが、それでいいのだと思った。
そうして、そこでの生活がしやすくなるだろうと思ったから出した手紙だから。

そして、また別の友からの手紙には


そこにいたことで、確実に何かを残している。
離婚を決意し、自立を決意し、子供を一人で育てると決意し強くたくましい。

と、書かれていた。
そう書かれていて、誰かの記憶や思い出の中の私をなかったことにしてほしいと私の手紙に込めたが、余計に印象付けたのではないかという思いと、
そこに見えるものも、見えないものも、残したものがあるからこそ思い切るのに時間がかかたのだということを思い知った。
離婚を決意したのは決意しなくてはならざるを得ないことがあったからこそだったのだという矛盾をまた、堂々巡りを始めてしまう。
また、まだ自立も、子育ても一人ではなく助けられていることで
なおさらうまくいっていないのではないのかという不安も気づいてしまっている。

落ち着いた今、この夏を乗り越えたら、それこそ3人で次の波に乗らなくてはならない。
一方的なサヨナラの手紙のつもりが返事をもらって、とてもうれしかった。