キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

春のドキっ、やっと決心

学期末に成績表を持ち帰ってくるのは
まあまあ中の上くらいの成績の長女。
こちらも、期待しすぎず、焦らずほどほどの安心感で待っていられる。
が、学年初めの健康診断や、各種検診の結果や再受診のお便りはドキっとする。

長女は何年か原因不明、一過性、精神的なという視力の低下で定期的な経過観察を続けてきていた。
かかりつけ医からも脳のCTを取りに活かされたり、府立医大への紹介状もいただいた。
が、劇的に突如グンと視力は回復した。ほっとした。

毎年、慢性鼻炎の耳鼻科への再受診も、ほぼ必ず持ち帰る。
そして、歯の咬合、矯正を促すお便りも。
わかっている、延ばしのばしにしてきたが、いよいよ始めなければならないことは。

子を持ち、育てることは負債を抱えることだといった方の言葉を思い出す。

矯正はお金がかかる。
審美的なことも、健康のことも考えるとお金がかかることも仕方がないとも思う。
やっぱり、それを捻出することは愛情表現であるなあと、やっと決心した。

明らかに、あの府立医大の眼科の医師の言葉はドクハラだと思っているのだが
私が、診察の折、長女の視力低下の一過性とはどういう意味か、
回復のためにできることはないかと伺ったとき、
「お母さんのあなたがしっかりしたらいいんだ。」
といったその医師の言葉が、不出来な母を傷つけた。重すぎる責任から独り逃れられなくしていく。

でも、その言葉どうり、結局は私が決めなければならないことばかりなのだ。

決めることのエネルギーはたくさん必要。
外出先を決める、夕飯のおかずを決める、翌日の着る服を決める・・・
近頃は各々決めてくれることも、
あーでもないこーでもないと言いあいながら決めれることも増えてきて
時間の使い方、行先も決まるのが早くなってきたが。

小さなことでも小さな相手でも、相談相手がいるって、心強いことだなあ。
長女の矯正も、本人が決めた時期から始めるのは専門家からしたら時期としては遅いものだったとしても、私たちにはベストだったと思おう。
愛情感じてや~、感謝してや~なんて言ったら恩着せがましいなあ。言わへんけど、思わへんけど。
でも、私も、矯正したかった~~。って、いつの呟きやねん。