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キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

好きな服

好きな服・・・・服が好きか・・・私?

残念なことに半径200メートルくらいなら、日焼け止めとサングラス、
日傘があれば、つっかけに部屋着で出かけても大丈夫なくらい身に付ける物には無頓着すぎるほどだ。
もっと言うと、裸でいることのほうがほっとする。服を選ぶ、装うというほうが窮屈で緊張。最低限の布で済むプールや海、お風呂は大好き。

でも、幼稚園や、小学校に参観などで出かけた時、同世代の女性たちが
好きな服を着てとても彼女たちらしく素敵にきらきらと見えることをとても楽しみに出かけている。

幼稚園からケント・デリカット(おぼえてる?)みたいな眼鏡をかけてメガネザルと呼ばれ、もともとの根暗がより深まった妄想の住人は目立たないことに徹した。
洋服も私たちの子供のころはおさがりがまだまだ当たり前だったのか、私はあるものを着せられることに抵抗しなかった。
そして大人になって、さあ自分で選んで買いなさいということになったとき、何をどう選んでよいのかわからなかった。バイトの給料も通学の定期や画材に使ってしまうと残らなかったので服を選ぶ、買うということに悩まなくてもよかった。
だから、失敗もした。今もする。
好きな服、似合う服を知るということが未だにできていない。

今、子の洋服は選んで買えるけれど、さあ自分のものを買いましょうとなった時、子らのものを買った満足感で自分のものまで買う意欲も資金もなくなっていて、ただ売り場をさすらっている状態だ。

次のシーズンこそは子らの買い物は後回しにして自分のものを見よう!と思うのだけれど、達成されたことはほとんどない。
でも今まではそれでいい。
私にかまわないで、関わらないでと思っていた時期、黒や灰色やくすんだ色やアースカラーと言えば聞こえはいいが、私が着たい色じゃない色の服ばかりを着ていた時期が、もう終わりたいと言っている。

先日子らと写真館で撮った写真も、元気なピンクの色を着た。
これから着たい好きな服を探す。

アイリーン・ベッカーマンの「あのときわたしが着ていた服」は
洋服や、身につけていた物で、その時の事、一緒に過ごした人の事、
いい思い出もそうじゃないものも思い出せる。
私はたくさんは持っていないなあと思っていたのだけど、私にもあるある・・・!と10年以上この本は私の手元にあって何度切なくなっても、何度もクローゼットを開けるように夜寝る前に見たくなる本。
絵も文章も素敵。

あのときわたしが着ていた服

あのときわたしが着ていた服

 

 



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