手から始まる口、耳、目、心
三月、初めて一人でのセラピストとしてハンドトリートメントイベント参加。
その時、女性たちがいってくれた言葉。
「素敵なお仕事ですね」
「人の手って気持ちいい。」
そう、なんて素敵な仕事だろう。と本当に思った。
そして、人の手、誰かの手、私の手、触れるって気持ちいい。
みんな持っているのに、
誰かのためにあるのに日常に誰のためにも使っていない。
もったいない。
もったいない。
人が作ってくれたご飯って自分で作るより美味しく感じたり、
人に何かをしてもらうって特別な存在に感じる。
甘えたいんだよ。
あなたはここにいる。
私はここにいるって確認したい。
時々学校からのプリントで
う~ん、とすごいものをもらってきたりする。
目は人の良いところをみるために、
耳は人の言葉を最後まで聞いてあげるために、
口は人を励ます言葉、感謝の言葉を言うために、
手足は人を助けるために、
心は人の痛みがわかるために使おう。
いつも見えるところに貼っている。
大人にとっても一つ一つ難しいこと。
口も、手足も、耳も、目も、心も野放しにしてはいられない。
特に、家庭内では口。
口は走るのが早い、行先もままならないうちに。
耳は走ってきてぶつかった言葉なんか最後まで聞く気にはならない。
傷ついてゆがんだ心は、ゆがんだままの目で見てしまう。
手足は、血なんか通ってないみたいに動かない。
目、耳、口、手足、心・・・
どこが発端で悪さをしてもかならず、幸せになるために機能しなくなる。
そうなる前に。
私にできること、触れること。
私だからできること。
もうすぐ、もうすぐ。
ゆっくり、ゆっくり。
もったいない、もったいない。