キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

足踏みの後の一歩は優しく

四月になって、毎日楽しみにしていた新聞の紙面の連載も
完全に交代されて、新鮮な視点で新しい風穴がヒュッとあいたような感じ。

そのなかに、継続されている連載で精神科医の香山リカ先生のココロの万華鏡。
東日本大震災や、大切な人を失った時に時間が止まり、
周囲の変化を他人事のように眺めている。
取り残されてしまう、遅れている
前に進めない。
それは、遅れではない。

いつまでも、その人たちとその時間と一緒にいたい。
という、大事だったものから心が離れない。
当たり前のこと。
前進は善、停止は悪。」
それは、違う。
思い出とともに足踏みし、停滞を続けるのは当たり前のこと。
ゆっくり、待ってるよと温かく見守る。

とあった。
私の場合は、失ったというより捨てたといわれることが多いかもしれないが、
捨てるという行為の前にも、後にも続いているのは失くした、
無くしたという状態だった。
その心が離れない状態を優しさだとも言えれば弱さだとも言える。
私にとって足踏みどころかうずくまる状態も長かったが
足踏みしている状態の私を待ってくれる周囲がいる。
冬も終わって春、足踏みしながら体も温まってきた。
足踏みの一歩も前に進みたがっている。
後は、少し上体を前に顔を上げれば一歩が出る。
足元の草はやわらかく、踏み出す一歩はやわらかい感触のはず。
木々の若葉が萌えている色を見よう。
散り際の桜の横でなびく柳の新芽が好きだったよね、私。
なびくってことは、風が吹いている。
やっぱり風に押してもらうなら、前傾姿勢をとらないと。
柳、風に泳いでるよ!!