キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

手紙

10日間の連休中、次女4年生はクラス替えでクラスが離れてしまった仲の良い友達に手紙を書いてはポストへ投函している。
または、自分で自転車で配達に。
GW郵便の配達のお休み。
学校で会うのが早い。
でも、せっせと書いている。
こんな葉書もらったら、一生の宝物にしちゃうよ~~
と思って写真を撮って残しておくよ。「一生、友達だからね!!」って

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私が書いた葉書が、私の手元に戻ってきました。
消印は昭和59年。メガネっ子だった私小学6年生。
夏休みの報告のよう。
残しておいてくれたことに驚きと感謝!!

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春の一泊

子らと3人で、一年に一度は宿泊して出かけたいと思っている。
2泊以上が夢だけれど、今年も一泊で。
行先はリクエストがない限り私が決めてる。
今回は、和歌山の白浜へ。
なんだか無性にパンダに会いたくなったから。
いつもは、クマがただ白と黒のツートンなだけと思っているパンダだけれど、
小さな元気に遊ぶ彩浜とお母さんパンダの姿が見たくて。

JR新大阪から特急くろしおに乗って海が見えた時の興奮と斜面に並ぶミカンの木、咲き始めた桜。
一日目は白浜の海岸線、白良浜千畳敷で遊んで夕日の絶景スポットへ。
白良浜の冷たい白い砂を素足で歩く気持ちよさも、海のいろの明るさも旅に来たっていう解放感。
自己責任。千畳敷の命知らずにアスレチックのように降りていく子らに追いつけない強風と打ち付ける波しぶきと絶壁。

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たくさんの人たちと眺めた雲に遮られて落ち切る夕日を見れなかったことも、
みんな楽しかった。

2日目、ウォーキングサファリで走りまわるチーターの姿がかっこよくてきれいで、いつまでも見ていたこと。
キリンの舌が大きくて冷たかったこと。
たくさんいすぎてありがたく思えなくなってしまったパンダ。
イルカショーが始まるころ発表された新元号「令和」。
旅のお小遣いで次女が手に入れたパンダのぬいぐるみに「令浜」と名付けたこと。
移動の車中で話好きの坂本冬美ちゃん大好きな追っかけのおば様とのおしゃべりも、
旅ならではの初対面の他者やハプニングとのかかわり方をする子らの反応を見るのも楽しい。
自分の荷物は各自自分で持つ、旅先での情報収集、交通手段、時間の有効活用などそれぞれの協力と機転、瞬発力でだんだん旅がみんなでできるようになっていることに頼もしく思えたなあ。
良い2日間だった。

3月のことですが

3月の末、長女たち吹奏楽部に所属する宇治の中学校が集まって演奏するコンサートがある。
各校が、2曲ずつを演奏する。
大所帯の学校もあれば、少ない部員数での演奏などいろいろだけれど、
数ではない迫力や、演奏の丁寧さや、指導者の特性などもよく表れた面白さがある。
午前中に仕事だったので、全部の学校を聞けたわけではなかったが、ギリギリ長女の出番には間に合った。
長女のフルートのソロからの曲の始まりだった。
そんなことは聞いてなかったので、びっくりはしたが、あ~この子はこんな音を出すのだなと、落ち着いて聴くことが出来た。
観客席からの録画撮影も可能だったが、録画する習慣がないので、記録として残してあげられていないことがたくさんあるのだけれど、その録らなくちゃという行為に気を取られることもないので、なおさら彼女の音だけを覚えている。
フルートのソロが終わって、音がどんどん合わさって曲になっていく。
とても難しい曲だった。その中に、彼女もいるのだ。
中学生らしいハイテンポで、エネルギーを感じる楽しい曲の方が感動して涙が出るのはどうしてだろうなと思いながら、2曲目を聞き、他校のたくさんの音を楽しんだ。

子の姿を見て、うれしいなと思ったり、頑張れ~って応援しているとき、ここにパパもいたらなと思うことが時々あって、パパがいるようにフッとその場においてみる。
すると、必ずどうしても、このホールでふとそう思ったこの時も、サッとホールの中の空気が一瞬に変わる。
とても怖いものに。
このホールにいる人すべてが敵になる。
あの人と、あの島にいた時って、これが怖くって一緒にいれなかったんじゃないかって。

冬から春先、特に3月、心も体もまだまだ調子を崩す。
ゆえに、もう5月になってこんなことを書き残している。
あ~、まだまだだな私。

傷を映す

もう一昨年のことになるけれど、宇治のT病院の産後のアロマトリートメントサービスのスタッフだった頃、そのトリートメントルームに飾りたいなと銅版画の作品を作った。
子を産み落として間もない産婦の喜びや誇らしさ、不安や疲れやいろんなものが持ち込まれる部屋だった。
その部屋の一角に飾れたらなあと、10年以上ぶりに手にしたニードルで銅板に傷をつけ、腐食させて、インクが詰められ、拭き取られ、プレスされて出てきた私の作品。

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あまりに個人的で悲しい作品だった。
これは飾ることはできないし、自分でももう見たくないと思った。
我が子に乳を与える母子を守り抱きしめてほしい夫の姿は描くことが出来ずに黒く塗りつぶしてしまったのだった。
どう思いだそうとしても、守ってもらいたかった人も、時も、事も、思い出せなかった。
しょうがなかった。
そんな絵になってしまうことが。
とても、かなしい。

リフォーム第三弾

ここ何年か、台所、洗面所トイレなど水回りのリフォーム工事をしている。
そして今年は、第三弾!浴室の計画。
父母もまだまだ介助もいらず自分のことはできるが、そのためにも安全な浴室をと。
もう三十年以上もそのままで、天窓は冬寒くて、床も壁もタイルで冷たくて滑りやすく、掃除も大変。
ショールームへ行ってシュミレートして、見積もりだして、担当さんと詰めていく。
毎回だけれど、家族の歴史の中で時々に解決しきらなかったわだかまりや、我慢や、憎しみのいろいろが家中を揺らす。
エネルギーがいることだ。
壊すこと、新しくするということは。

出戻った私と、子ら2人がいてもいなくてもしなくちゃいけなかったであろう水回りのリフォームとは思うが、この場所にとどまってしまうことになる。
おしりに根が生えてしまうような、腰の重くなることだ。
あと何年親は生きるだろうか、
あと何年したら子らは自立して出ていくだろうか、
あと何年したら私は一人になるのだろうか。
と、考えてイメージを思い描いて私のこの先を決めていく。