キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

年末に聞く歌謡曲

年末で、TVでも歌謡曲の懐かしの曲や映像なんかも見る季節。


ジュリーの「勝手にしやがれ
~せめて少しはカッコつけさせてくれ
 寝たふりしてる間に出てくれ~

尾崎紀世彦の「また逢う日まで
また逢う日まで逢える時まで
 別れのそのわけは話したくない
 なぜかさみしいだけ
 なぜかむなしいだけ
 たがいに傷つきすべてをなくすから
 ふたりでドアを閉めて
 ふたりで名前消して
 その時心は何かを話すだろう~

いろいろな別れがあるけれど、私は別れ方も失敗したから、
何かが続いているままのようで魂が重たい。

「もう帰ってこないんだね。」
そう聞かれたら、
答えは決まってる。
その聞き方に反語はないよね。
答えは聞き方にもう用意されている。
答えを予測した聞き方。
諦めと物分かりの良さげな習性。
傷つくことにそなえた言葉を選んで。
「子たちを頼む」
ENTER、決定。

さみしいとむなしいの現在進行形。

硬い乳房

もうそろそろ更年期にかかってくる年頃で、通常はやわやわなのだが
生理前だけはカンカンに胸が張る。
その硬さを確かめて、ふと思い出したあの子の胸。
20年以上も前になるけれど、
シリコンを入れたというその子は胸を触らせてくれた。
そのボリュームも、硬さも覚えている。
とてもかわいい顔をしていた、華奢な体つきだった、手も、しぐさもまだまだ硬かったが、お化粧は上手だった。
そのシリコンを入れた胸はその子にとってどうしても必要でほしかったものだった。
その時期の一時以来会っていないけれど、下の手術もしたのかなと、急に思い出した。
彼の胸みたいにカンカンに硬い乳房が痛くて。
あの子が幸せでありますように。

平成の国民

85歳の天皇陛下として迎えられた最後のお誕生日。
記者会見でのお言葉に涙が出てしょうがなかった。
平成に戦争がなく、陛下の国民の一人であったことにとても幸せな気持ちになった。
また、日本を離れた日本人や日系が各国で社会の一員として受け入れられていることに感謝し、
日本もまた諸外国から日本で働く外国人たちに対して温かく向かい入れよと国民の前にも世界に対しても聞こえるように政府にご進言されたことに、とても心が震えた。
皇后陛下への感謝や労いのお言葉はそのお言葉の一つ一つ、お声の揺らぎからも
強く支え合って来れたお人とお人なのだと身近に感じた。
日本国民の一人、陛下の国民の一人なのだと自分の存在も感じた。
85歳のお誕生日おめでとうございました。

サンタクロース来訪にそなえて

次女3年生が、
「明日は、全員早く寝てや。サンタさん来れへんかったら困るから。絶対やで。」
と、何度も念押しする。
ゆえに、今夜は明日に細々を持ち越さぬよう、
夜更かししている。
いいなあ~~
まだまだこどもで~~

崩れたルーティン

久しぶりにこの穴に来た。
ここ何年か子供の学校のPTAのコーラスに3か月だが参加して
選曲された歌と出会い、
その音階を染み込ませ、歌詞に慰められながら、
声に出して歌うことで心の中のものを排出し浄化させるようにして12月を迎えていた。
それが私を立たせ、歩かせて一年を越えていくルーティンとして組み込まれていた。
が、今年はそのコーラスの期間が短かった。
発表する機会が一回少なかった。
とても歌い足りなかった。
いつまでも湧いてくる私の中にたまるものが
歌うことで出口に向かってかき集められていっているのに。


ただ毎日の続きで、進めて、進んでいくべきことを後回しにしないでいけるように
コーラスもいつもの年のようにあったらよかったのに。
立ち止まってしまっていた時間を取り戻すように、またこの穴に来て言葉にして行こう。
ただ12月から1月に移って年をまたぐだけだけれど、
12月はいろんなことをやっぱり切りをつけたくなるものだから。
もう、一年一年をカウントするのはやめようと思うのに。