キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

お弁当にスープ

長女は中学生になった。
当たり前のように着ていく制服が、こちらも見慣れてしまっている。
私の作ったお弁当を、これもまた当たり前のようにもっていく。
宇治市はまだ、中学校の給食はない。
入学準備をしているとき、いろんな種類のたくさんのランチセットを買わされそうになり、
何を張り切っとるんじゃ!!
自炊するとき自分で盛り上がれ!!
と、小学生の年数回のお弁当の時にしか持たなかったお弁当箱を使わせている。
が、スープジャーの一揃えは買った。
中学生の弁当に汁物??!と自分の中学時代を思い返しても、別次元に思えたり、
粗相はしないかは心配したが、
スープ大好きなのは知ってるし、温かいものを食べるのはほっとする。
たまには喜ばせてやるかと、たまに持たせている。
が、昼食時までしっかり温かいようにと、スープジャーをしっかり予熱して温かいスープを入れて持たせるのは、正直めんどくさい。
パッキンのセットとか。
帰宅して、洗いものとして出すのが遅れたら自分で洗わせる。
早く出したとしても、パッキンの取り外しやらは自分で分解してシンクに出すように。
ほんとは自分で洗ってほしいので、
「ハイ!出すの遅かった!!自分で!」
と、言えるように「洗い物出しや~」と、わざわざ言ってあげない。
洗い物まで当たり前にしてもらえると思われたくない。

昼食は各自それぞれの職場や、タイミングで食べる。
夕食づくりはバアバが主にしてくれている。
私が一人で台所に立つのは朝だけなので
朝食やこの弁当作りは私の自由にできる台所での時間だ。
とても大事な時間だ。
たいそうなものも作らないし、上手でもないのだけれど、女子の弁当箱を詰めるくらいの料理は楽しい。
小学生の頃初めてガスを使った料理を練習したのは卵焼きだった。
お弁当に卵焼きは外せない。

明日の朝も、ズッキーニやベビーコーンや根菜や豆のスープを朝からコトコト炊こう。
長女のスープジャーに入れて、私にも昼食のおにぎりのお供に持っていこう。

GWの一日

GWとはいえ、
仕事に行っている。
サービス業は、今、喜んでもらってなんぼ。
その「今」は、いつでもだから。

子供の日の子らは、一日中DSでゲームをしていた。
子供の日の特別。
約束を守らないので、「この日」と決めた日だけ彼女たちの手元にある。
朝起きて朝食後から、一時間おきに休憩をしながら昼食、入浴、夕食以外の時間を
DS三昧に過ごしたらしい。
一日を過ごして、
「一か月に一回DSしたら十分やわ~」
と、満足した一日だったらしい。
DSでゲームしたんお正月ぶりやん。
GW最終日、長女はクラブがあるらしいし、
次女はお友達と約束しているらしい。
ママ明日おやすみやのにな。
それぞれのお休み。

三輪山へ

奈良の大神神社にお参りに行った。
パワースポットの一つとして有名なのかもしれない。
鳥居を見上げ、その森の木の大きさにもう英気を感じる。
そのご神体三輪山に入らせていただく。
標高430m。
往復4km、2~3時間。
大神神社の昭和祭りに重なったせいかGWだからか、信者の方からの苦情も多いらしい。
たくさんの人だ。
入山前に集められて入山の心得と注意を聞く。
ここでは入山の届けをして首から下げるたすきをお借りする。

三輪山がご神体であり、
レジャー気分で入山しないこと。
信仰の念をもって入山すること。

登山をする人にはマナーであるかもしれないが、
行きかうときにあいさつしないこと。
お経を唱え、願いを込めて歩く信者の方々の妨げになるとのこと。

携帯電話の使用、撮影、おしゃべり、水分補給以外の飲食の禁止などの注意を受ける。

私たちも鈴のついたタスキを首から下げ、お祓いをし入山した。
ある地点までは、子らと細い道を行きかうマナーやペース、歩き方などを見ながら一緒に歩き進める。
が、そこそこに急な坂道や階段の道。弱音が子らの口から出だし、その言葉が邪魔をして私の心が解放されない。始め元気に私の前を歩いていた子らが、休憩で座り込むことが増えだし、私の体力が勝る。子らを置いて先に行く。
一人になればその弱音は出まい。
道は一本道。頂上付近で落ち合うことにして別れた。
時々後方を見下ろし確認しながら、やっぱり彼女らとは別々の時間があり、
それぞれの別の個体なのだと改めて思ったりする。
私には私のペースがあり、歩み進めていくことに没頭しつつ、ご神体とつながりながら
私からあふれてくるこもごもと話しながら歩きたい。
電車に乗りながらぐるりと見上げた三輪山の新緑の木洩れ日の下を一人になって歩く。
注意があったのに、たいていの下山者たちから挨拶の声をかけられる。
その度に自分の中の声や思考、祈りが揺れる。
その声にムキになって答えないようにする私ってよっぽど俗な人間かもしれないなと
ちらりと思いつつ自分の踏みしめる音と、息、鈴の音を聞きながら深く、それでいて軽やかな気持ちになっていく。
初めてが今日でよかったな。

次女は、「立木さんに50回登っても、ここにはもう登りたくない」
と言うほどしんどかったらしいが、彼女らの体力はすぐにこの三輪山に追いつくと思う。
また誘うよ。
私はここが好きだ。
下りはゆっくりゆっくり。
足元はその段差を丁寧に確認しながらでないと足をくじきかねない。
また、明日からの筋肉痛やひざの心配もしなくちゃいけない年齢に差し掛かってきている。
体が資本。
それに、まだまだ下界の私たちの世界に帰りたくないと私の心が言っている。
もったいつけるように、ゆっくりゆっくりおりた。

私の世界に戻る準備をしながら。
後ろから急かすような足音がしたらはじによけてかわす。
のぼっていく苦しさが修行のようであり、ご神体というものを感じやすく、
また頂上に着いたという達成感か安堵感から下山の時の方が気が緩んで挨拶の声が出てしまうのかもしれない。
のぼる人からの声かけはほとんどなかったなあと、下山していくとき思った。
のぼるときの方が、周りの風景や木々を感じたなあと思う。
おりる時は、足元に注意がいって、立ち止まらないと周りを見ることはない。
裸足で入山する人も多いが、私のこの日のために買った白いスニーカーは白い巡礼の衣装のつもり。
下着も、身につけるもののほとんどを白色に臨んだこの日。
良い一日だった。
お昼はやっぱり冷やし三輪そうめん

洗濯をたたむ

気持ちよく乾いた洗濯物をたたむと言う生活の中の一つのこと。
夕方仕事から帰ってきて夕飯の支度にとりかかるのに
外から内にシフトチェンジするにはちょうどな家事の一つだと思う。
ほんとは、子らがTVを見ながらでもやってくれて、
仕事から帰って一旦座ることなくお台所に立てれば交感神経ONのままバァ~!!ッと
超高速で子らの話しかけにもそぞろに作業は進むのだけれど。
洗濯物をたたむというのは、座って、TVも見ながら、おしゃべりもしながら、
ほころんでいる衣類を発見したり、
落ち着いて衣類の傷みやサイズの不具合やらを気づける時であったり
一日のふとしたことを思い返していく時間であったりする。

が、昨年の年末28日、母が左手首を粉砕骨折してからの2か月余りの間
ほとんどの全家事と仕事に追われ、次々にインフルエンザの流行りに乗る家族とこまごまに
忙殺され疲弊し
洗濯物をたたむという作業はのんきなものでなく、
各個人の分に分類される仮たたみ状態で靴下がひっくり返っていようが、
袖や裾が内側で団子になっていようがお構いなしに
取り入れた洗濯の山をなくすというだけの座っているのに50M走を走ったくらいの
鼻息だった。
次第に、家人たちは裏向けに脱ぎ散らかすことを改め、
タオル、下着類、洋服に分けられた分別かごに気をつけて脱ぎ、分類することに気を使うようになったのだが、
ワ~と過ぎた数か月の間の冬の衣類は、
今やもう薄いものばかり。
もう回復した母の両手に支えられて、日常と思われていた生活に戻っている。
でも、80を目前にした父や70も越えた母との生活はいつも、いつまでもこれが日常として続くものではない。
子らの成長と、両親の老いのグラフの交わりがもう少し緩やかにありますように。

笑点ブーム

次女小学3年生のソプラノリコーダーとの出会い。

初めての課題曲、「笑点のテーマ」。
日曜日夕方5時30分のオープニングに向けて待ちながら、
練習!練習!!

指の腹のやわらかいところで穴を押さえ、
中途半端にゆるゆると穴から離すひっくり返るような音が出てしまったりして
リコーダーのサイズに慣れていく手と息の勢い。

明日の日曜夕方5時30分待ち遠しいよ、母ちゃんは。
長女の時から4年ぶり、2度目の笑点ブーム。
うまく吹けなくても、毎週放送、日曜夕方5時30分。