キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

目分量

目分量はそのままの意味。
目で見て量る適量。

食卓には、一人分ずつ料理を盛り付けた銘々の皿と一汁一菜、
少しの副菜の皿と漬物が並ぶ。過不足の無いような栄養素と分量がそれぞれに合わせて一目瞭然となるように。

ご飯や味噌汁を盛るのは子供らの役目で、
食事の後半大人たちの「ご飯とお味噌汁入れて」の声に
2人の子らが立って行き、よそう人、運ぶ人の役割が決まっている。
よそう人は食べる人に合わせてその分量をよそってくれる。
この冬の何か月か、私は猛烈に食べていた。
私が倒れたら、立ち行かなくなる、仕事も休めないという気負いが私を動かし、
緊張し、体力を落としてはいけないともりもりと食べていた。
春が来て、いろんなことが落ち着いて、少しずつ荷を下ろすことが出来た。
そして体も、食欲や、胃もシフトチェンジしてきていて
皿に盛る量も、よそわれるご飯の量も減らしていかないとしんどい。
カレンダーに書かれている一日の予定も、‘TO DO‘の量も枠内に溢れずに収まっていたらとりあえずOK。
その時間の質量を想像して適量か判断する。

この何日か、よそわれてくるご飯の量を少しずつ減らしてもらいながら今の私の適量を量ってくれている。
しゃもじに乗せるご飯の感触、目で見たご飯の分量、ご飯をよそった茶碗の重さの感覚で、また私のもとに運ばれてくるいつもの量が決まった。

春の歯

春は、体も芽吹き成長する季節なのだろう。
8歳になった次女の6歳臼歯が4本、一斉にめりめりと肉を割るように隆起し大きく生えて生きた。
あんまり遅いのでレントゲンで欠損しているのではないかと調べてもらっていたので、
あることはわかっていたが、やっと生えてきた。
大きな永久歯の前歯を見せて笑う。大丈夫、大丈夫。
でもきっと2人とも、歯の検査と治療の紙をまた学校からもらってくるんだろうなあと、
歯医者の予約が取れないのは困るので、新学期が始まる前に歯のクリーニングと検査に行っておく。

長女は矯正のために撮ったレントゲンに写った良からぬところに埋伏していた犬歯を発見。
2月、外科手術によってそれを摘出した。
1時間ほどで済む手術だったが、上唇をめくりあげ、切開し、骨に穴をあけてその歯を摘出するという工程に恐れおののき全身麻酔で行うことを選んだ。
今はあごを正しい位置に移動させるためのマウスピースをつけるだけの矯正の助走が始まったばかりだが、もう半年もすればワイヤーをつけた矯正が始まるだろう。
次女も始めなくてはいけないが、まだまだ怖がって矯正の意思はないらしいので無理強いはしない。

どこを探しても私に似たところはないのに、あごの小ささだけは似てしまったのだなあと、眠っている顔をまじまじと見て私に似ているところがやっぱりない。
どこをどう見ても元夫側の遺伝子情報ばかりが目につき、寝ている顔が一番かわいくないなと、私は面白くなくてさっさと目を閉じて眠る。
春と言えど、一人寝には冷たい布団がつらくて次女の布団にもぐりこんで次女にだっこしてもらって眠る。
きっと子らは暑いんだろうな、冬よりだんだん寝相が悪くなってきている。
体温調整、いつもバンザイしている子。
布団のスペースいっぱいあるのに次女、私、長女がいつの間にかギュッとひっついて寝ている。
春の寝床が一番好き。

18きっぷ企画第二弾

18きっぷ企画第二弾。
鳥取へ行って、往路に18きっぷを使って7時間。
復路もそのつもりだったけど、滞在時間や遊ぶ時間、子らの帰着時間を考えたら断念。
復路は特急を使ったので18きっぷを余らせてしまった。4月10日期日。
なので直前一日、第二弾18きっぷ日帰りの旅。
ずっと行きたかった岐阜の養老天命反転地
天気は少し寒くて、雨もパラパラっと、しとしとッと。

スマホタブレットも持っていないので、電車の乗り継ぎも、
旅の行程やその場所の情報をパソコンで調べて小さなメモ書きにして琵琶湖線の景色を楽しみながら、関ヶ原を通って、その時代を想像して子らと少ない知識を持ち寄ってあまりの無知さに恥ずかしくなり帰って調べ物をしたりする。
まだ雪が残る伊吹山をぐるりと回るように電車は走りながらいろんな角度からの姿を
見せてくれる。

あんなに来たかったのに来なかったのは、この子らと来る初めてをこの子らと今ある今日を一緒に来るためだったのだと思う。
来たからにはと、養老の滝の昔話をしながら滝までの道を歩く。
雨上がりを待ちながら昼食をとり、ワクワクしながら養老天命反転地へ。

子らは平気だったのだろうか。
私は長い時間、そこにいたほとんどの時間、その傾斜やでこぼこした地面、天井の高低や斜面、すり鉢状の中にいること、暗闇、手探りの想定のない仕掛けの感覚に私の弱い三半規管が足元から、お腹の中から、目の奥からずっと揺れている感じがおさまらなかった。
ただ、私の足や、全身の筋肉が転げまいと踏ん張って、脳の奥でこの感覚に慣れようと微調整を続けていた。
その微調整にとらわれている間、いろんなことにびっくりして、初めてのようなこと、見たことがないようなことを楽しんでいる子供になっていたことに、今思う。
今、思い出してもあの場所に立っていた不思議な感覚に酔うような感覚になる。
これは行った人にしかわからない。
でも、2度目行った時、この感覚はないかもしれない。
初めては大事だなあ。

身の回りには平面の段差や少しの斜面がある均された床や道。
前に早く安全に進むための。
目をつむればそんな平たんに思う場所もぐらぐらした心もとない、行先も確かでない場所に立っているのに。

旬の料理

今が旬の筍をいただいた。
以前は近くの竹林へ子らを連れて掘りに行っていたのに。
楽しかったな。
今やとてもありがたい貴重な食材になってしまった。
あんなに毎日毎日ぬかのにおいをさせて湯がいていたのに。

わか筍煮、山椒煮、筍ご飯、天ぷら、フライ、春巻き・・・今の季節の料理を楽しむ。
てきめんに吹き出物に悩まされるのだけれど、一時よ、一時のこと。
いつもより食べ過ぎてしまう。

冬に家族でこの実家に帰省していたころ、元夫の好物で白身魚に蕪のすりおろしと銀杏、きくらげをのせて蒸して、優しいお出汁のあんをさらりとかけた蕪蒸しを、大きな蕪を見つけて母は作ってくれた。
が、元夫と別居してから一度も作ってはくれないし、食べたいとも思わないし、蕪を見つけても手に取りはしない。
旬が来ても、もう作りもしない、食べもしない料理。
もったいない、そんな食べ物ができてしまうなんて。

いつか自分で、一人で蕪を抱えて、一人ですりおろして、一人で蒸し上げる匂いをかいで食べるのが、あと何度も何度も後になるだろう、いつかの冬の蕪の旬の夢。

月のはじめに行った鳥取で、越冬から帰ってきた燕を見た。
それから10日して、家の周りを飛ぶ燕を見る。

6年前の長女の小学校入学のピカピカの姿と、
今、中学生になって黒のブレザーを着て初々しい姿を
燕と一緒にこれからも思い出すだろうなあと
思う。