キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

打ち直した布団

6回目の冬だ。
何度も迎えた冬を、いつまで仮住まいのつもりか
子らの冬の布団も有り合わせで間に合わせていた。
この6回目の冬、これも断捨離の一つだろうな、
母の嫁入りの荷物のセミダブルの掛布団。
お客さんもないし、もう使うことはない。
子らの冬の布団に打ち直した。
その当時のサイズより少し丈が長めで、少し軽めのシングル。
ふかふかに生まれ変わって帰ってきた。
早速、かわいいカバーをと量販店に買いに行ったのだけれど、
とても安くで可愛らしいものが見つかった。
それぞれにぴったりの色、花の柄の綿素材のカバー。

いつもなら、どんな衣類も買って来たら必ず一度水を通す。
だけど、子らはもう打ち直したふかふかの布団の寝心地を試したくて仕方がない。
パックに入っていた新品だし、いいか・・・とその夜、ふわふわに子らは包まれて眠った。
「ちょっと変なニオイする~」
って次女はいいながら、ふわふわ~~って。
でも、起きぬけ一番にお腹が痛いとトイレに急いだ。

まさかとは思うが、洗わなかったからか・・・と。
ちょっといつもと違うこと、ちょっと気にかかると引っかかったままになる。
その朝、やっぱり洗った。
これで、ちょっと安心。
大丈夫。

12月へ向けて

玄関傍の木に、
毎年クリスマスの飾りつけと、ささやかなイルミネーションをともす。

今年も、てっぺんに星を
のびた枝を剪定し、
今日点灯一夜目。

益々、クリスマスという年末イベントに向けて
一年というカウントが迫っている。
1年、3年、5年・・・
1年忌、3年忌、7年忌・・・
奇数年というのはカウントしやすいのだろうか。
1年というのはまだまだ生々しいので、
今年もお年賀はやめようと思う。
何がめでたいんじゃい!!っっちゅう気持ちがあるうちは。
クリスマスカードでごまかしたハッピーニューイヤーカードでもつくろう。

今年お世話になった人、
また来年会いたい人へ。
もう、義理はやめにしよう。

そして、シュトーレンを毎日切ろう。
少しずつ。
気に入った店の。
毎年の楽しみ、クリスマスかぶれ。

そして憂鬱、クリスマスプレゼント選び。

一年をカウントすること

もう、一年をカウントする時期に季節になってきた。

キッチンをリフォームして一年。
それまで使っていた30年も使ったキッチンが、今の設備に変えられて
綺麗になった。手入れもしやすくなったのだろう。
でも、前の方が使いやすかったと懐かしく思うのは、いかがなものか。

ここも、そこも、あれもと、不平不満は数えるといくつもあるが、
新しいことがすべていいわけではないのだということだ。
畳は新しいに超したことはないが、女房もそうなのだろうかと、
もうすぐ離婚一年、考えなくてもいいことまで考えてしまう。

また、今年も年末押し迫ったころにトイレ洗面所のリフォーム工事が予定されている。
両親の高齢化へ向けた生活環境、道具設備への対策であり、
また不甲斐なく寄生している私たち子らや孫への備えでもあるであろう。

残念なことに一年使ってみてのキッチンの使い勝手は良くなったかといえばそうでもない。今回のリフォームも、そうならないことを願う。
まずは、間取りの問題でもあり、部屋の数や広さの問題であり、時代性の住みにくさであり、家族性でもある。
身体機能の衰えや、体力に伴った気力の衰退による家庭内での引きこもり。
維持しきれない敷地内、家屋内においても縮小していかなくてはいけない。
私の持物でないので、どうにもできないのだけれど。

ずっと前から、去年のキッチンリフォームの前から決めていた。
だから、その時も、今回もリフォームには口を出さない。
なぜなら、私は子らを伴って一時でも、この両親の元を離れて
別に住処を整え、親になろうとしている。
まだ、何も決まっていないが、その時は必ず、情報も、物件も、運も目の前に現れると信じている。
両親のまだ元気なうちに。
実家は、私をまだまだ子へと引き戻す。
親の仮面を都度都度被りながら、子らの前に顔を向けていたが
今、このあたりで親にならなければ、もうチャンスはない。
子らの小さい間、
私が目を開かず、手も口も、足も心もなくしていた間
手をかけ、目をかけ、心を注いでくれたことに対しての裏切り、恩知らずととられるだろうか。
だけど、大人がたくさんいること、子の気配を感じない家の中に一緒にいても
何かとても薄まっているようでみんなが遠い。
私の肌感覚に、サイズ感に合う家で子らと一時、ギュウギュウになって
バタバタと毎日を過ごしてみたい。
来年の現実にしたい夢。




溶け始め

元夫と、子らとの面会交渉が済んで
壊れた日常を取り戻すべく、
フリーズしていた時間を取り戻していく。

ため込んだ仕事も、
新しく始まった仕事も、
何もかもがまだ遅れている。

その間に起こったことや、
引っかかったまま時間を進めているだけの小さな荷物も
取りに戻りながら
またここに記しに来よう。

 

亀 帰る

飼っていたカメがいなくなって20日ほどが経つ。
庭の木陰で、友達と遊んでいた次女が発見した。
いなくなって、おねえちゃんから飼育の手伝いから解放された次女にとっては『あ~あ・・・見つけちゃったよ・・・」
という感じだったかもしれない。

カメは、甲羅が反り返り、緑色だった背の甲羅が白くなっていた。
だから、見つけられた、見つかった。

「だれも、おかえり~!!
 よう帰ってきたなあ!!
 よう、生きててくれたなあ!!」

とは言わなかった。
世話の擦り付け合いになった。
残念だけど。

ちょうど次の日は、燃えるごみの日だった。
私は、いくつかの提案をした。

長女は、泣きながら
「一緒にお世話手伝って下さい。」
と、次女に頼んだ。

「いいよ。」
と、二人で世話を続けることになった。

今日、友人の飼っている猫が死んだ。
老衰、腎不全。
最後まで、とても大事にされていた。家族だった。

人に優しく。
思いやり。

そんなものは口では教えられない。
また、それは教えられて、気づかされたからといって身につかない。
育てた人の、環境のなかの同じ空気を吸っている中で細胞レベルで、染まってい行くようなものだ。

カメというものと見つめ合うということは難しいが、
それによってオキシトシンという幸福ホルモンが分泌されるということは、
私にはむつかしい。
特に、犬と人間は、哺乳類同士だからこそ見つめ合いでホルモン分泌がおこるのだろうか。
そうなら、カメでは役不足か。
もう、だんだん寒くなって行く。
こんなにダメージを受けたカメを、冬眠させるのは無理だ。
冬の間暖かくしてやって、冬を一緒に過ごさなくてはいけない。
姉妹でお世話するって、決めたんだから。
また、緑の甲羅を取り戻させなくちゃ。