キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

写真

たくさんのたくさんの写真の中に私がいる。
日付は、‘99~‘04。`99、`00年頃が多いか。
若くて、一番美しかったであろう私を記録して残してくれていた。
私を想って、私を見ていてくれていた人がいたという証。
そのカメラに向かって、その気持ちを受け入れ、また同じ気持ちでいた私がいた。

そのたくさんのアルバムから、幾枚かをぬきだして今、手元にある。

このセーターの色、このコートの色、気にいっていた帽子を着ている私が好きだった。
この光りの時間、このシャッターを押したときの気持ち覚えてる。
私にこんな幸せがあり、こんな顔で笑う私がいたということを忘れないで、覚えていなくちゃ。

そんな時があって、あんな時もあって、これからを進まないといけない。

早く、私は「今」をシャッターを押せるようにならなくちゃいけない。

そば

この旅の中で、
2度そばを食べた。

一杯は、友人となじみの店で。
イカスミそば。
たっぷりのイカと良い出汁のそば。
いつもの田芋パイも。

もう一杯は、空港で。
温かいものでこの胃を満たして帰りたかった。
野菜そばを頼んだ。

やっぱりそばには、私の炊いた三枚肉でなきゃ。

だから肉なし野菜そば。

棕櫚のほうき

かつて家だった場所は、今や人が住むていをなしていなかった。
ゴミ屋敷。
廃墟。
すべてが曇っている。

とても寂しい。

開けたい引き出しもあったが、荷物に阻まれ、
何かを探すという気分には全くならなかった。
もし、見つけたとしても
何度洗っても使おうとは思えなかった。

庭木も伸び放題。
野菜を育っていた畑も、隣家をつなぐ境も草が伸びていた。
風、雨、亜熱帯の湿度、ネズミなどの害獣の被害。
唯一の嫁入り道具の食器棚の大きな傷、美しい青色の引き出しはひび割れて歪んで
痛ましかった。5年、私の手を離れただけが。

その色彩をなくした家は、
私がどれほどの時間とエネルギーを注いでいたかを思い知らせた。

もう、ここには私の何も残ってはいないとこれ以上ないほどに見た。

ただ、唯一、私のために持ち出したのは棕櫚のほうき。
100年でも使えると三条の橋のたもとの店で買った棕櫚のほうき。
100年私たちの家を掃くつもりだったほうき。
私が、毎朝毎夕家中を掃いていたほうき。

これを持ち帰った気持ち、私だけのもの。

ラストドライブ

レンタカーを借り、
往復60㎞の道を懐かしく運転する。
信号はない。ほとんどノンストップ。

それぞれのカーブを曲がった先の景色を覚えてる。
向かいの島がきれいに見えるパーキングで休憩した子らとのドライブ。
温泉に入りに来たこと、
海藻を取りに来た海岸、
川遊びをした川。
かつての港。
何度往復したかわからない生活道路。
何より険しさも、怖さも知らず縦断した島の深い山々。

今日が曇りの天気でよかった。
すべてがくすんで見える。

自分でここへ来て、
自分でここを去る。
自分の運転で。

マスト

バスのほんの数分の到着の遅れで一本の船を乗りそこなう。
その一時間を埋めるべく、速足でできたらしようと思っていた事、
電話での手配やらに奔走する。

そうやって、キチキチに組んだ旅のスケジュールと予算を変更しながら
旅のほとんどの移動の隙間にすべきことをこなしていく。

会いたかった人に会い、もう一度立ちたかった場所に立ち、
あの時の私を呼び出して寄り添う。

今の気持ちや、「もう大丈夫」ということを
友人に話すことで大丈夫だと確認する。
また、その友人の話を聞いて同じように彼女も大丈夫だと安心する。

まだまだ、会いたい友人たちはたくさんいるけれど
彼女たちに立てる小さな波が大きくなることがいいことだとは思えなかった。

私のイメージ通りの最長最短の旅。