キツツキの穴

日々つついた穴を埋めたり、のぞいたり、もっと深く大きくしてゆく穴掘りメモ。

雲の上 雲の下

雲の上、早朝のフライトだったので機内ではほとんどの時間を眠っていた。
皆まぶしかったのか、機内の窓はほとんど閉められていて薄暗かった。

雲の下、旅の初日、と言っても一泊二日滞在時間24時間のこの旅の地は
朝から雨だったらしく空には薄まった雨雲らしきもの、
ひんやりした湿気をふくんだ風。
冬の地から来た寒さになれた体には、ブラウス一枚で十分な気温。

落ち着いて、一つ一つを一刻一刻、私の時間と島の時間を合わせて
欲張らずに過ごす。

旅へ

衣食住

生まれて、産着を着せられ、
母のおっぱいを飲み
寝床で安らかに眠る。
衣→食→住の順で始まったが、
結婚したらその逆で
住→食→衣。
雨風しのげる箱であり、安全な場所にある家。
近隣の周囲の住人たちと協力支え合ってコミュニティに存在できる自分たちであろうとすることが第一。

グズグズと、家を持てず持たずにいるうちに
互いの粗が見えすぎてお互いのために責任や苦労を共にする気持ちが薄れて擦り切れてしまった。
まず、家だったろう。
まず、家だろう。
お互いを縛る足かせになるかもしれないが。
食と衣を整えるのは生きるエネルギー。
そのエネルギーを作るのは、体と心を休ませる家だ。

いつかの私の家だったその場所に、お別れしに行く。
私がいた、もう、遺跡のようなそこへ巡礼のような、つかのま、旅へ。

ほくろ

顔と言えば、
次女が学校帰りにご近所でバアバたちが井戸端会議をしているところへ帰ってきて、
「あっ!!おばちゃんほくろとった!!」
と、ちょっと冬の寒い間ご無沙汰だった、そのおばさんお顔にあった大きなほくろが
なくなっていることを瞬時に発見した。

その場で、さんざん話しつくしたであろうその場にいた人だれもが気づかなかったのに。

よく見てるのだなあ、あなたは。

そして、先日TVでデビィ夫人が鼻の横に小さな肌色の絆創膏を貼っているのを見て
「ほくろ取らはった!!」
と、また言い出したが、みんな、デビィ夫人にほくろがあったことが思い出せない。
あったっけ?
あったっけ?
ほんまに?
 

赤ちゃんの能力

 

メアリー・ポピンズ (ポプラ世界名作童話)

メアリー・ポピンズ (ポプラ世界名作童話)

 

 

毎日新聞を購読している。
いま、気にいって読んでいるのは青野 由利さんの土記do-ki。

先日のは、メアリー・ポピンズの話から赤ちゃんの顔識別力。

生理学研究所のチームの論文研究の赤ちゃんの能力について、
大人は、大人の顔を見分けられるが、赤ちゃんの顔を見分けるのはむつかしい。
が、生後3か月の赤ちゃんは大人も子供の顔も区別でき、
9か月ごろには大人の顔しか区別できなくなってしまう。
どんな顔も区別するから、見る機会の多い大人の顔の区別に特化するという変化に右脳が関係するという。

これは、どんな環境に生まれても、適応する浅く広く適応する能力を持っているためだとか。生後3か月の赤ちゃんはサルやヒツジの顔も見分けられるという研究もあるとか。
青野さんは、そうだとすると、この能力は赤ちゃん自身だけでなく養育者も助けるはずだと。赤ちゃんは母親が育てるものという思い込みには、「誰が育てても大丈夫」と、」その幅広い能力が告げている。
また、女性が養育すると、女性の顔が良く見分けられ、赤ちゃんの顔識別能力から誰が育児に熱心だったかわかるかもしれない。母親が一人でこなす家庭では父親の顔が見分けられないということも起きるのでは。と。

この記事の冒頭に、英児童文学の「メアリー・ポピンズ」の場面が挙げられていた。
懐かしい~~!!大好きだった。
最近、長女が雑多なライトノベルばかり読んでいるので、
一緒に図書館に行ったら私の小学生時代の大好きな本をいっぱい見つけてしまった。

 

おちゃめなふたご (1982年) (ポプラ社文庫)

おちゃめなふたご (1982年) (ポプラ社文庫)

 

 

 

 

くまのパディントン (1978年) (カブえほん文庫)

くまのパディントン (1978年) (カブえほん文庫)

 

 

 

 


偶然にも、おちゃめなふたごが出発する駅もパディントン駅。
くまが、ブラウン夫妻に出会ったその駅にちなんでつけてもらう名前がパディントン駅。
あ~、子供より先に読んじゃった。つぎは、メアリー・ポピンズ借りよう。

 

風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)

風にのってきたメアリー・ポピンズ (岩波少年文庫)

 

 

逃げた二月

二月は、本当に2(逃)げた。
見たこと、話したこと、行ったこと、留めておかないといけないこと
手元のノートに走り書きしてあることはたくさんあるのに、
こうしてパソコンに向かってキーボードを打つ時間は確保できていなかった。

二月の最終日曜日は暖かで、毎年お詣りする立木山観音へ出かけた。
長女は毛虫が嫌だというので、春や夏はのぼらない800余段の階段を
次女は、今度こそ間違いなく数えきると、一言もしゃべらずにもくもくとのぼっていく。今回は806段だったらしい。

立木さんと親しみを込めて呼ぶこの寺は、空海さんが開かれた。
厄除け、厄払い、開運、家内安全・・・
日々の生活の中でコントロールできない何かを正しに行く。

2月の初めにも吉田神社の節分祭に行った。ここも厄除け厄払い。京都の鬼門。
今回は初めての明るい時間。明るい雑木林の吉田さんの境内。懐かしい。

本宮、菓祖神社、大元宮、竹中稲荷神社へといつもの順序でお詣りして、
子らと人形に名前と数え年を書きご祈祷してもらう。
菓祖神社の豆茶で温まり、河道屋のワサビと大根おろし、刻みのりのそばで年越しをする。
そうだよ、一年の始まり。
前の記憶や、思い出をこうやって少し、少し、押しやって
今を上書きしていく。
たくさんの夜店をひやかし、食べ歩きしながら歩いていくと
昨晩退治された鬼達が、心を入れ替え本宮へと列になって歩いているのに出会った。
そうやって、退治され、また一年の間にまた鬼になり、ワーッと大暴れして
また、退治されというのを繰り返しながら一年、
私たちはまた厄を落とし、また厄をくっつけ生きていく。

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そうそう、立木さんでいただくお札が、とても毎年可愛らしくて大好き。
就学前の子らには、

とうさん
かあさん
ののさまの
とうといごおんをわすれずに

と書かれている。
それ以上の子らには

ああ今日も
生かされている
ありがたいことだ

大人には

朝にも夕にも
観音を
念ずべし

枕もとにあって、安心して眠れる。
子らのこの言葉を唱える声が好き。